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藪漕ぎの先に〜秋田太平山〜

樹林帯を抜け、やがて両脇が笹薮の道に出た。明るい。それまでの登山で、山頂でもないのにこれほど明るい道を歩くことはなかった。

初心者であった当時にはぴんと来なかった状況であるが、多分森林限界を超えていた。緯度が高いと低地でも森林限界が訪れるということも、その頃は知らなかった。

明るいと更に恐怖は薄れる。疲れてはいたがうきうきと歩みを進めていた私の前に、最後の難所が現れた。

厚く繁った笹薮で足元が見えないのである。いつの間にか私の下半身は笹に埋まっていた。道が、分からない。


ルートファインディングという言葉がある。きちんと整備されていない道において、先人の踏み跡などから正しいルートを見つけ出す技術のことをいうが、前章で道が分からなかったのは確かに私にその能力が欠けていたからだと思う。

しかしこれを同じように捉えて良いものか。ピンクテープはある。笹の頼りない幹にひらひらと揺れている。つまりルートは明確なのにも関わらず、道が見えない、道幅が分からないという状況なのである。

もしかしてこれが薮漕ぎ!?と、登山を始めても体験することがあるとは思っていなかった単語が頭に浮かぶ。ましてたった10回里山を歩いただけの分際で遭遇して良いものではない気がする。

ルートは斜面を巻くようについているが、山頂直下のこと、私の右側は既に空だ。見えないとはいえ、足の踏み場がだいぶ狭いことは予想がつく。

遠のいていた恐怖がまたぞろこんにちはと顔を出す。いい年して、うららかに晴れたこんなのどかな日に、なんでひとりで死にそうな目に遭わなきゃいけないんだ。全部自分で選んだくせに内心で毒づいた。もうすぐ山頂に着けることだけがモチベーションであった。


よくよく見れば、笹薮の中に細いロープが引いてある。これを辿れと。なるほどね!

どこに結ばれているかは分からないが、木がないのだから笹以外にあるまい。つまり体重をかけられるものではない。ロープ自体も命を預けるにはあまりにか細い。

じりじりと歩き出したが、だいぶ高度感があって腰が引ける。ザックに重心を持っていかれたら空に投げ出されてお陀仏である。

必死なあまり記憶は薄いが、斜面にへばりつくような姿勢で登っていた気がする。

後で聞いた話だと、その頃主人は太平山を臨める場所にいたらしい。あんなところにいるんだなぁなどとしみじみしていたそうだ。

もし彼が性能のいい望遠鏡でも持っていたら、山頂直下に蛙のように貼りつく妻の姿が見られたかもしれない。


最後に僅かな距離の直登。ぱっと視界が開けた。

山頂に辿り着いたのだ。恐怖からの解放感も束の間、その素晴らしい眺望に目を奪われた。

山頂からなだらかに広がる尾根に向けて伸びる一筋の道。私がとれなかったルートだが、これを歩けたらどれだけ気持ちが良かっただろう。森林限界を超えた場所でだけ見られる登山道だ。

登ってきた方角を振り返れば、私がたった今越えてきた山々と、その向こうに秋田の市街地。どこまでも広い。

正直なところ、それまでの私は山の展望に重きを置いていなかった。山の中にいられれば十分幸せで、眺めはどうでも良かった。

それはそれで得な性分だと思うが、このとき初めて皆が展望を喜ぶ理由が分かった。太平山山頂の景色はそれほど見事で、今でも鮮やかに覚えている。

気温もちょうど良く風は爽やかで、虫が多いことだけが難であったが非常に満ち足りた気持ちで昼食を摂った。秋田のご当地パンである。私にとっては青春の食べ物。

月並みではあるがいつまでもここにいたいと思い、しかしそうはいかないのが日帰り登山の悲しいところだ。

明るいうちに下山しなければならないことを考えると、山頂にいられる時間はあまりにも短い。ましてや私には新幹線のタイムリミットがある。

最後にもう一度頭と写真に絶景を収め、名残惜しいながらも来た道を戻り始めた。

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