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『細野晴臣と彼らの時代』門間雄介(書評)

(自分のブログに書いて、シミルボンに投稿した書評ですが、そもそもは第1章を note で読んだのが発端なので、ここにも併載しておきます)

note で最初の章が無料公開されており、読んだらめちゃくちゃ面白くて即 Amazon でポチッとした。

何故そんなに面白いかと言うと、それは当然僕が昔からの細野晴臣のファンだからであり、考えてみれば、断続的にではあるが、もう50年くらい彼の作り出すサウンドを聴いてきたのだ。

実際買ってみると公開されていた章の前にプロローグがあり、それは細野晴臣のファンとして夙に有名な某歌手兼俳優の話で書き起こされており、改めてそのキャッチーな構成に感心したりもした。

でも、このプロローグが、細野晴臣をあまり知らない読者をどれくらい惹きつけるのかは僕には分からない。

僕はさすがにエイプリル・フールは知らなかったが、はっぴいえんどの解散にはなんとか間に合ったという世代である。そこから聴き始めて、一番好きで聴いていたのははっぴいえんど解散後のソロ時代。所謂トロピカル三部作、とりわけ『泰安洋行』である。

YMO が結成されたときには、「あ、細野さん、なんか割とつまらないもんを始めたな」と思ったのをよく憶えているが、世間的には YMO で知って、YMO からファンになった人も多いのだろう。

この本は概ね年代に沿って書かれているが、20世紀時代のパートで言えば、そこに登場する日本のミュージシャンについては、僕はほぼ全員の名前を知っていた。単に名前を知っているだけではなく、作品や演奏スタイルを即座に思い浮かべられるぐらいだ。

さすがに、(僕があまり熱心に聴かなくなった)21世紀の記述に入ってからは名前を記憶していないミュージシャンもちょこちょこ現れたが、でも楽曲名に関しては知っているものも結構あった。

それくらいの長い長いファンだからこそ面白いのだ。あ、あと、僕の卒論のタイトルが『ニュー・ミュージックの新展開』であったというようなことも当然関係がある(笑)

この本の何が面白いかって、それは筆者が8年もかけて細野晴臣にインタビューをし、細野さんの周りの様々な人の話も聞き(残念ながら大瀧詠一はその前に亡くなってしまったが)、膨大な資料と音源を当たって書いているところである。

そして、書いている人が単なるドキュメンタリストではなく、音楽に関する基礎的な知識がしっかりとあり、それを分析する能力もあり、それに加えて人間存在に対する洞察力と理解があるということだ。

以下、僕が読みながら思ったことを箇条書き風に列挙するが、これはこれから読もうとする人にとっては明らかに「過剰書き」になっていると思うので、読むのをやめるのであればここですよと言っておこう(笑)

小坂忠が『ヘアー』のオーディションに受かってしまったために、はっぴいえんどは強力なボーカリスト候補を失ってしまったという話は 2018/11/26 の SONGS & FRIENDS 小坂忠 HORO(東京国際フォーラム)で小坂が語っていた通りだった。この本でその辺りの詳細を読んで、彼らがあそこに再結集した意味をもう一度思い知った気がする。
細野晴臣と最初に会った頃の大瀧詠一がビージーズの熱狂的な信奉者だったという話を読んで驚いた。もっともビージーズと聞いて最初に『サタデー・ナイト・フィーバー』を思い出してしまう世代には間違って伝わりそうな話だが(笑)
『A LONG VACATION』 を初めて聴いたときに、大瀧がアメリカン・ポップスに関してめちゃくちゃ造詣が深いことは前々から知っていたが、こんなにメロディアスな曲を書ける人だったのかと腰を抜かすほど驚いたのをよく憶えている。
はっぴいえんどで初めて大瀧の作品を聴いたときには、コード進行を見てもキーが分からない、何という変な曲を書く人だ!と思ったのだが、それは彼がメロディアスなポップスを封印して、「バッファロー・スプリングフィールドが分かった」結果だったのだ!
岡林信康のバックとしてのはっぴいえんどは、ボブ・ディランのバックとしてのザ・バンドと対比される。これは当然、ボブ・ディランに触発されて岡林が真似をしたわけだが、岡林がリハーサル中に「こいつらしかおらへん!」と言ってスタジオに入ってきたというエピソードは笑った。
一方で、ディランとザ・バンドの間には音楽面でのしっかりとした共感と連帯感があったのだが、はっぴいえんどは岡林の音楽性には取り立てて何も感じておらず、ただ良い稼ぎになるからやっただけというのが如何にも面白い。ただ、彼らは「岡林はいい人だ」とは言っている。
細野晴臣が高田渡の強い影響を受けていたという話もものすごく意外だった。僕は高田渡という人はフォーク・シンガーとしては巨人だと思う一方で音楽的にはあまりレベルの高くない人だと思っていた(そもそも中学生に高田渡の真価が分かるはずがない)。
でも、細野は詩の面だけではなく、高田渡という存在そのものを尊敬していた向きがある。後年、息子の高田漣が細野のバックを務めるようになったのには、こんなところに伏線があったのかと深く納得した。
有名な「日本語ロック論争」については、僕は当時『新譜ジャーナル』の記事で、とにかく日本語で歌うことに否定的だった内田裕也が罵倒したという風に読んだのだが、この本で読むと内田はもう少し落ち着いている。それよりも、ミッキー・カーチスがはっぴいえんどを絶賛していたとは(笑)
『風をあつめて』の歌詞を読んで僕はサンフランシスコのような外国の街を想像していたのだが、松本隆の風街というのは東京であり、オリンピックに向けての都市計画によって生家を追われた経験に基づくものだと知って大いに驚いた。「路面電車」は都電だったのだ!
それと、細野晴臣も述懐しているが、その当時東京に住んでいた人たちは日々東京タワーが完成して行くさまを見ていたのだと初めて知った。
はっぴいえんどの解散を当時サンケイ新聞で読んだのだが、その記事では松本隆の絶望感がものすごくクローズアップされていたように思う。だが、この本では「別に仲違いしたのではなかった」とある。
逆に YMO の末期には細野と坂本龍一がちょっとギクシャクしており、高橋幸宏が間に入って苦労していたというのは全く知らなかった情報だった。
細野晴臣が自作の詞にメロディをつけ始めたのを見て、僕は細野が松本を見限ったみたいなイメージを持っていたのだが、実は松本が解散決定後のレコーディングには詞を書かないと宣言したからだったとは。
前述のサンケイ新聞の記事では最後のアメリカ録音は惨憺たるものだったと書いてあったように記憶しているが、この本を読むと、彼らがこのレコーディングでどれほど刺激を受け快感を覚えたかがはっきりと書いてある。とりわけヴァン・ダイク・パークスのヘッド・アレンジ。
ある種それを契機にして細野の無国籍路線が始まったらしい。ふーん、なるほど。
僕があれほど熱狂してレコードが擦り切れるほど聴いた『泰安洋行』は、実はあまりヒットせず、細野は落ち込んでいたということを初めて知った。あれほど発想豊かで完成度の高いアルバムもそうそうないと思うが、それが評価されないとなるとそりゃあ落ち込むと思う。
YMO が売れたということについては、村井邦彦とアルファ・レコードの戦略的な仕掛けが非常に効いていたという話にはなるほどと膝を打った。
「ぼくは YMO で、自分と時代との交差点を渡ったんですよ」という細野の言葉は非常に深い。
大瀧詠一が細野晴臣のことを「常に革新的な極左」だと言い、自分は「極右」で「保守の権化」だと言っているのは非常に味わい深い。

などと語り始めると話が終わらない。買ってあまり聴かずに置いてある細野さんのアルバム(例えば『オムニ・サイト・シーイング』とか)も久しぶりに猛烈に聴いてみたくなった。

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