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グループの名は。

日本語の句読点の使い方がおかしくなってきたのはいつからだろうかと考えた時にすぐに思い浮かぶのは1997年のモーニング娘。の結成です。

どうです? もう、おかしいでしょ? 文の途中で句点(。)が出てきてますから。これだと「モーニング娘」でこの文が終わってるものと思ってしまいます。

僕が一番好きなのはモーニング娘。

みたいにね。

こういうのを「体言止め」と言います。文は通常は用言(動詞や形容動詞、形容詞など)で終わるものですが、余韻を残すためなどの狙いで体言(名詞)で文を終わらせてマルを打つわけです。

ところが、冒頭の文における「モーニング娘。」はマルがあるところで文章が終わっていません。その後にある「の」を見て、「あ、この文はまだ終わってなかったんだ」と気づくわけです。

「モーニング娘。」の場合はまだ良いのですが、2014年以降のこのグループの名前、例えば「モーニング娘。'20」のような場合は、マルとアポストロフィが連続していて、一体どこが繋がってどこが切れているのか、区別するのがかなり難しくなっています。

モーニング娘。は '14年以降はグループ名の最後に当該年の西暦の下二桁を付して「モーニング娘。'xx」としており、例えば '20年の場合はモーニング娘。'20となる。

なんと分かりにくい!

私が今書いているこの文章では、読みやすくするために「モーニング娘。」と書いて、カギ括弧に挟まれた部分(マルまで)がグループ名であることを示しています。上記のような例文ではそうしないとめちゃくちゃ分かりづらいからです。

しかし、では、この書き方が日本語として正しいのかと言うと、規範性の高い表記方法としては正しいとは言い難いのです。なんとならば、「記号は重ねない」というのが従来の日本語表記のルールだったのです。つまり、

1)「それはおかしいよ。僕はそうは思わない。」と彼は言った。
2)「それはおかしいよ。僕はそうは思わない」と彼は言った。

のどちらが日本語の表記として正しいのかと言えば、2のほうなのです。近年かなり崩れて来ているとは言え、この原則を守って書こうとすると、もう書きようがありません。だから、

モーニング娘。が何度もメンバー・チェンジを繰り返すのは…
つんくがプロデュースしてきたモーニング娘。の場合は…

みたいな文章を読むたびにつっかえてしまうのです。句点があるのに終わらないって、反則じゃないですか!

なんでこんなことになったかと言うと、それまでの日本語の文章では、グループ名などの固有名詞やタイトルの場合、最後にマルを打つことはめったになかったのです。それを爆発的なヒットで覆してしまったのがつんくだったわけです。

この後、同じハロプロのユニット名として「カントリー娘。」や「ココナッツ娘。」などが続々登場します。そして、この書き方はやがてハロプロ以外にも広がって行き、例えば「ゲスの極み乙女。」(2012年結成)みたいなバンドも現れました。

一方、2005年には石川寛監督、宮﨑あおい主演の映画『好きだ、』が公開されました。

これが変なのは断定の助動詞「だ」が来ているのに、その後が句点ではなく読点(、)であるところです。これじゃ続くんだか続かないんだかさっぱり分かりません。これ、本当におかしな日本語です。

一方で『好きだ。』という作品もあって、こちらは2015年に発表されたリトル・グリー・モンスターの4枚目のシングルで、TBS金曜ドラマ『表参道高校合唱部!』の主題歌でした。

「だ」で言い切るのであれば当然読点ではなく句点で終わるべきで、そういう意味でこちらは正しい日本語です。ただ、タイトルに句点を使っているために文中に使うと切れ目が分かりにくくなるというだけのことです。

実は曲のタイトルがマルで終わるケースは昭和の終わり頃から結構出てきていて、例えば

もしも明日が…。(1983年、わらべ)
君に、胸キュン。(1983年、イエロー・マジック・オーケストラ)
どんなときも。(1991年、槇原敬之)

など、他にもかなりあります。タイトルではだんだんそれが許されてきていたのですが、グループ名を句点で終わらせたつんくの手法は型破りで、それだけにインパクトが強かったと言えます。

また、映画やドラマのタイトルにも近年はマルで終わるものが増えてきています。有名なところで言えば、2008年のキネ旬邦画部門第2位に輝いた橋口亮輔監督の『ぐるりのこと。』や、2016年の新海誠監督の『君の名は。』など、実は山ほどあります。

『君の名は。』のマルは何を意図して付けられたのか知りませんが、この場合は係助詞「は」のあとに文を終わらせる句点が続くのはまことに妙な感じです。「…は」と来れば「…だ」などと終わるのが通常で、「…は」はまだ途中のはずなのに句点が来て終わってしまうからです。

『君の名は…。』ならおかしくないのですが…。

でも、こんな風に大ヒット作に使われてしまうと、もう止めようがありません。今年になってからも今泉力哉監督の『あの頃。』がありました。

句読点は本来文章の切れ目を明らかにするために使われてきたものですが、「。」や「、」にいろんな人がいろんな意味を込めて使い始めると、もはやそれは顔文字/絵文字の類と同じ用法になってしまったようです。

そう言えば、最近の若い人は文章の終わりに「。」を使わず、絵文字で終わったり、次の文との境界を改行やスペースで表すことが増えてきているという指摘もあります。

先日もテレビで若いタレントさんが「LINE で文末にマルを打つ人は耐えられない」と言っているのを聞いて、衝撃を受けました。

ことばは変わって行くんですね。ま、とりあえずこの文章は句点で終えておきますが…。

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