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それは Netflix の番組? ~容れ物の時代から中身の時代へ

インターネットを観ていたら、「Netflix で観られるオススメ作品」みたいな記事を書いている人がいて、なんとなく読んでみると、元々は劇場用映画として公開された作品やテレビ局が制作したテレビドラマなどが山ほど含まれていて、ちょっと驚きました。

僕がそういう記事を書くとしたら、そういうものは決して含めないだろうと思います。だってそれは(確かに今は Netflix で観られるには違いないけれど)本来的に Netflix の作品ではなくて映画会社やテレビ局の作品だと思うからです。

それらは Netflix が映画会社や放送局と交渉して調達してきたコンテンツに過ぎません。

調達の経緯はいろいろです。

制作段階から Netflix が絡んでいて、Netflix に先に独占配信権を渡し、ある年数が経過した後にテレビ局が自社サイトでの配信を開始するようなケースもありますし、放送局が配信/再放送を含めて再三マルチユースした後で Netflix に売るようなケースもあります。

番組の内容とポテンシャルによって、料金、開始時期、期間、独占/非独占などの条件はさまざまですが、しかし、なんであれそれは契約に基づいています。

そして、いずれにしても、契約期間が終わってしまえば、そのコンテンツはいきなり Netflix では観られないコンテンツになってしまうのです。僕ならそういうコンテンツをオススメしたりすることはしません。

でも、多分この人には、と言うか、昨今 Netflix を観ている多くの人たちにとっては、そんなこと関係ないのでしょうね。「だって Netflix で配信してるんだから Netflix の作品でしょ?」みたいな感じ?

それは僕自身の感覚とは違いますが、ただ、現象としては分かります。何故なら、そういう傾向は僕がテレビ局で働いていたころからすでに、もう何十年も前から現れていたからです。

僕らは小さい頃から新聞のテレビ欄で番組をチェックして選んでいた世代なので、「この番組はこのチャンネル」「あれを放送しているのはあの局」という認識がかなりはっきりできていました。しかし、僕らより下の世代は必ずしもそうではなく、すでに 20世紀の終わり頃には、どの番組が何チャンネルなのかが分からない人が少しずつ増えてきていました。

自分で「チャンネルを回す」のではなく、 EPG の一覧画面から番組を選択する人が増えてきたからということもありますし、毎回リアルタイムでチャンネルを合わせるのではなく、録画セットして番組を視聴する人が増えたからでもあるのでしょう。

にも関わらず、僕が放送局のテレビ編成部で調査担当をしていた 1990年代半ばには、社内にはまだ「局イメージを高めることこそが高視聴率に繋がる」と考えている人がたくさんいました。局のイメージが良くなれば、みんなそのチャンネルを観てくれる、という考え方です。

でも、調査をかけてみると、視聴者の持つ局イメージは必ずしも適切なものではなかったのです。つまり、どの番組がどの局なのかをそもそも視聴者はあまり憶えておらず、たまたま記憶に残るほど大ヒットした単一の番組がその全体局を代表するイメージになってしまっていたのです。

例えば、僕が携わった調査によると、当時どの局もニュースをやっていなかった夜 10時台にテレビ朝日が『ニュースステーション』を編成して、それが高視聴率を獲るようになった途端に、それを関西地区でネット受け放送していた朝日放送が一気に「関西で一番ニュースが充実している局」に選ばれてしまったのです。

制作局/発局のテレビ朝日ではなくネット受け局の朝日放送のイメージが上がってしまったところが面白いと思いませんか?

テレビを見ながらいちいち「これはキー局発の全国ネット、これは地元局のローカル放送だ」なんてことを考えているのはテレビ局の社員ぐらいのものでしょう。「これはフジテレビ制作、これは大阪のカンテレ、これは名古屋の THK だ」なんてちゃんと知っているのは我々だけです。

NHKニュースの途中でアナウンサーが交代した瞬間に、「ここまでが全国ニュースで、ここから BK(NHK大阪)の関西ローカル・ニュースに変わった」なんてことは、一般の人はほとんど誰も気づいていないでしょう。

ことほどさように一般人が局に対して正確なイメージを持つことは元来あまり期待できなかったのですが、それがますます無理なことになってきていたのです。

そういうわけで、僕はその当時から、

局イメージを上げて個々の番組の視聴率を上げようとするのは発想が逆だ。局イメージを向上させるには個々の番組をヒットさせるしかないのである。逆に番組が一発大当たりすると、それがそのまま局を代表するイメージになる。

という主張をしていたのですが、上のほうは却々理解してくれませんでしたね。

それで、僕はいつもこんな風に続けていました:

あなたが先日読み終わった本の出版社名を憶えていますか? 新潮社ですか? 講談社ですか?

あなたが先週観た映画の配給会社はどこでしたか? 東宝でしたか? アスミック・エースでしたか?

読書や映画鑑賞に関して言うと、ユーザにとってはそんなことはもはやどうでも良いのです。誰も気に留めていないし憶えてもいません。そして、それは出版と映画だけではありません。テレビ局も今にそういうことになります。すぐにそんな時代が来るでしょう。だから、局イメージにこだわっても意味がないのです。

そもそも民放は総合編成で、ニュースからスポーツ、ドキュメンタリ、ドラマからお笑いまで揃っているので、そんなところに単一のイメージを期待するのは至難の業です。それよりも一つひとつの番組をヒットさせることのほうがはるかに大切です。

などと…。

しかし、それでも社の幹部の皆さんの反応はあまり芳しいものではありませんでした。僕のものの言い方が生意気で、カチンと来たのかもしれませんが(笑)

でも、時ここに至って、それはもう否定しようのない事実になってきました。

自分が好きで毎週見ている番組であっても、どのチャンネルなのか明確に言える人はかなりの少数派になっています。昨日読んだ本がワニブックスだったのか岩波文庫だったのかなんて、どうでも良いし、誰も憶えていないのです。

Netflix でやっている番組が元々は映画だったのかテレビ番組だったのかなんて知らないし、どうでも良いし、Netflix で配信しているんだから Netflix の番組なのです。

ネット上でふと読んだ記事から思いがそんな風に広がってしまったのですが、昔自分が書いて社内に回したレポートの正しさを改めて認識してしまいました(笑)

総合編成をしている限り、明確な局イメージを打ち出すには無理がありますし、打ち出す意味ももはやないのだと思います。ユーザはもうそんなことに囚われていないのです。

僕らが作った番組の配信権が Netflix に売られて、それが Netflix で爆発的に見られたら、多くの人がそれは Netflix の番組だと思うでしょう。いや、とりたてて Netflix の番組だとも思わないのかもしれません。たまたま Netflix でやってたから「Netflix で観られる」と書いただけのことなのかもしれません。

それは今では極めてフツーのことなのです。

容れ物(局やサイト)の時代は終わりました。今は完璧に中身(コンテンツ)の時代なのではないでしょうか。


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