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静かに見守って、潔く去る

長らく仕事をして、だんだん年を取ってくると、「ああ、もう俺の出る幕じゃないな。俺はお呼びでないんだ」と感じる時がやってくる。

僕の場合で言うと、放送局に務めながら僕自身は放送コンテンツにほとんど何の貢献も功績も残してこれなかったが、サラリーマンの最後十数年間については放送とインターネットの融合連携を一生懸命社内で唱えてきた。

当時は「インターネットはテレビの敵だ」みたいな間違った認識の先輩たちが多かった中で、僕は「テレビかネットかと言う二項対立、二律背反、二者択一みたいな認識は間違っている。ネットとテレビは繋がって広がって行く必要がある。それがなければテレビは滅びる」みたいなことを一貫して言ってきたつもりである。

それはそれで少しぐらいは意味があったと思うし、多少は会社も動かせたと思っているのだが、でも、もうその役割は終わったと感じている。

固陋な考え方・感じ方の先輩たちが順番に会社を辞め、あるいは死に、僕らは戦う相手を失って、いつの間にか自分の周りには自分より若い人たちばかりになってしまっていたからだ。

若い人たちには僕らの感覚はまるで通用しない。

僕は IT の達人なんかではないし、インターネットの仕組みについてそれほど詳しいわけではない。ただ、いろいろなソーシャル・ネットワークには早くから手を出していたし、IT業界のセールスやマーケティングについても早くから興味を持っており、僕の強みはそこら辺にあった。

ただ、僕らの世代は、例えば twitter を新しく出てきた武器という感覚で捉えてきたから、ついつい下の世代に「いいか、twitter はこうやって使うんだそ」みたいな教え方をしてしまうのだが、彼らのほうは「あ、twitter は小学生時代から使ってるから、大丈夫っす」みたいな感じなのだ。

「いいか、ネットの世界ではこういうツールでデータ分析して、こんなデータでセールスしてるんだぞ」などという教え方をしようとするのだが、「あ、それは前に○○社で見せてもらって知ってます」みたいな感じなのだ。

つまり、古い世代と戦ってきた時代と違い、僕の知識は(社内で)僕にしかないものではなく、僕の人脈も決して独自のものでもなくなっていたのである。特にコロナ以降は人と人がリモートで繋がる機会が増えて、大阪本社の会社の東京支社で僕が働いているという“地の利”は完全に失われてしまったのだ。

そういうわけで、「ああ、もう俺の出る幕じゃないな。俺はお呼びでないんだ」と気がついた。

しかし、だったら自分は一体どんな風に役に立つというのだ?という思いもないではないが、そんなことで焦っても仕方がない。

静かに見守っている。あるいは潔く去って行く。──そんな気持ちである。それは、僕がここではないどこか新しい場所を見つけろということなのかもしれない。

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前にも老境の仕事についての文章を書いています。今より1年以上前なので、今の感慨とは少し違っているところが、自分でも面白いなあと思っています。


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