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twitter の現在に想う

ここのところ半年ぐらいの twitter はすっかりイーロン・マスクのおもちゃになってしまって、長年親しんできた小鳥のアイコンは廃止されるわ、tweet は post に、retweet は repost に呼称変更されるわ、いや、それどころかサービス名まで X などという無粋な(※個人の感想ですw)ものに変更されるなど、往年の twitter ユーザにとってはかなり腹立たしい状況です。

ただ、twitter も当初からの設定や機能、名称を後生大事にずっと変えずに守ってきたかと言えば決してそうではありません。

僕が初めて twitter に加入したのは 2007年5月でした。あの当時、すでに twitter を使っている日本人がいなかったわけではありませんが、ほとんどが英語を喋る日系人や英語で仕事をしているビジネスマンなどで、日本語で呟いている人は却々見つかりませんでした。

で、これを知っている(あるいは憶えている)人はほとんどいないと思うのですが、当時は follow と言わず add と言っていたのです。自分のリストに加えるイメージですね。

僕はアカウントを作ってはみたものの、周りでやっている人が全くいなかったので一体誰を add して良いやら分からず、仕方なく適当に何人か知らない人を add してみて、誰にも add されていない状態で「腹減った」という第一声をツイートしてみたのですが、当然何の反応もなく(笑)、従って何の面白味もなく、結局一旦退会したのでした。

そういうわけで、2009年7月に会社のキャラクター「もの知りほなね君」として再登録するまでに2年間のインターバルができてしまいました。でも、その直後からものすごい勢いで twitter は伸び始めましたよね。その頃には add という用語はすでに follow に変更されていました。

twitter の文字制限は当初は日本語も英語も 140字でしたが、そもそも2バイト文字を使っている日本語はバイト数では英語の倍のバイト数が使えるわけで、また表意文字である漢字のおかげで日本語のほうが内容的に多くのことを呟けると言われていました。

今では英語も 280字に拡大されて、バイト数では日本語と同じになっています。その後も、長い URL の字数をどうカウントするかなどについて、少しずついろんなことが修正されてきました(今ではどんな URL も 23文字カウントです)。

イーロン・マスクになった途端に Twitter Blue など、お金を払った人にはどんどん、何千文字まで緩和しちゃったりしてますけどね…。

もうひとつ変わった点は、それまで「お気に入り」(英語では favorite、僕らは「ファボ」「ファボする」などと言っていました)だったボタンが、当時大躍進を遂げていた facebook をモロにパクって「いいね」(like)に変更されたことです(ま、一応 facebook は「いいね!」、twitter は「いいね」ですけどねw)。

これは僕らにとっては単なる名称変更ではありませんでした。「お気に入り」と「いいね」では若干ニュアンスが異なります。

「お気に入り」は「このツイートが気に入った。ちょっと印をつけておこうっと」みたいな自分に対する備忘録的なものでした。それに比べて「いいね」は明らかにツイートした人に対するメッセージであり、好意の表明です。

それ以前は「お気に入り」をクリック/タップする際には僕らは何も考えずに、ただ気に入ったら「お気に入り」を押すだけのことでした。ところが、「いいね」になってしまったために、「これは『いいね』してあげるべきなんだろうな」みたいな変な気遣いをするようになってしまいました。

つまり、「お気に入り」は単に「する」ものだったのが、「いいね」になって「してあげる」ものになってしまったのだと僕は考えています(僕自身は今もってあまりそういう気遣いはしていませんが)。

そのことによって、「いいね」が随分変成してきたように思います。

本家本元の facebook でもそうですが、別に良いとも悪いとも思っていないし、それどころか自分にはろくに興味も関心もなく、知識もないので何のことかよく理解できない記事であっても、ただ気遣いだけで、あるいは単に「読んだよ」という意味で「いいね」や「いいね!」をする人が増えてきました。

僕はそれが大嫌いなんですよね。「いいね」されても嬉しくありません。「いいね」と思ったときだけ「いいね」してよ、と思います。僕は割合頑固にそうしています。facebook では細かく公開範囲を触って、何でもかんでも「いいね!」してくる奴には投稿ができるだけ届かないようにしていたりもします。

ちょっと話が逸れてしまいましたが、長い歴史を振り返ってみると、その他にも投票機能がついたり、アナリティクスが表示できるようになったりと、細かいところで何度も何度も twitter は改変され続けてきたのでした。

しかし、それらはいずれもユーザの要望を取り入れ、反応を見極めながら、少しずつ少しずつ改変されてきたものであって、イーロン・マスクみたいに唐突ではなく、イーロン・マスクみたいにほとんど思いつきでやっているようなイメージはありませんでした。

イーロン・マスク自身は決して思いつきではなく、長年の夢であるスーパーアプリ化のために深慮遠謀を張り巡らせているのでしょうけどね…。でも、そこにユーザ目線が欠落しているのは明らかです。

旧経営陣の下で、ある程度ユーザの思いに寄り添って、ユーザの思いを大切にしながら変更してきた twitter に対しては、僕らは決して憤りを感じませんでした。そんな彼らの決定であったなら、アイコンの変更に対してもこれほどの反感を買うことはなかったのかもしれません。

そこがマスクとの大きな違いです。

本来ならばこういうことは X に post したいところですが、とても 140字では書けませんし、また、こんなことを書いてしまうと突然 banされるのではないかと本気で心配になります。今では X はそんな場所なのです。

もう昔の設定に戻ることはあり得ないでしょうが、しかし、X は果たしてこれからも僕らのコミュニケーションを豊かにしてくれるのでしょうか?

僕は将来のことも見越して Bluesky のアカウントを作りました。

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