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後悔先にありき(続・後悔する生き方)

「サラリーマンに一番要求される能力は危険予知能力である」と言った人がいて、私はなるほど言い得て妙だなと思った記憶があります。

いや、別にサラリーマンに限定する話でもないでしょう。社会に生きる人間全般、いや、野生動物まで拡大しても良い話なのではないでしょうか(笑)

この場合、危険予知能力と言っても、別に超能力のようなものをイメージしているのではありません。

普段の仕事の流れの中で、

「こういう報告の仕方をすると、却って上司に突っ込まれるぞ」
「こういう表現で提案すると、下手すると彼を怒らせて終わりになるかも」
「こっちの選択肢を採用すると、当面は良くてもあとでえらいことになるんじゃないか?」

といったようなことを、肌で感じ取る力です。そう、まさに「肌で感じる」感じ。そういうことが肌で感じられるようになると、つまらない軋轢を上手に避けて、仕事をスムーズに進めることができるようになります。

そして、それを予知するためには、積み重ねた事例の分析が必要でしょう。その場合に、掴んでおかなければならないのは、過去の失敗の原因ではなく、むしろ失敗例のパタンではないかと思います。

そのパタンに近づいたときに、そこに漂う独特の危険の匂いを嗅ぎ取るのです。

そのためにはどうすれば良いか?

私が思うに、身近な人の失敗をよーく観察しておくことももちろん必要ですが、自分自身が手痛い失敗をいくつかくぐり抜けて来ているということも多分重要で、そういう経験と後悔と分析が危険予知能力を育てる土壌になるのではないでしょうか。

他のところにも書きましたが、最近「後悔だけはしたくないので」という言い方をする人が多いのがとても気になります。

単なるレトリックの問題であるならそれで良いのですが、後悔を避けることを第一優先にしていると、下手すると手痛い失敗に辿りつかないで終わってしまう惧れがあるんじゃないでしょうか。

そうすると危険予知能力に繋がる経験が積み上がらないのです。危険を避けようとするあまり、危険のパタンが学習できずに終わる──それを私は心配しているわけです。

だから是非、そんなこと言わずに後悔しようよ、と私は、主に若い人たちに言っています。

後悔と分析がセットになることによって、危険予知能力は育まれるものではないかな、と考えています。

でも、よく考えてみたら、私の言っていることは変ですよね。失敗を避けるために失敗しなさい、と言っているわけですから。ま、人生、そんなもんっしょ(笑)

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