「戦没者慰霊碑を歴史遺産に」には大賛成ですが、実際どう保存と継承していくのかが難しい。

 10月6日の中日新聞デジタル静岡版に、「戦没者慰霊碑を歴史遺産に 遺族会高齢化で保存と継承が課題」という記事が出ています。神社などにある「戦時中に亡くなった人々を祭る「戦没者慰霊碑」の管理が遺族会の高齢化などで困難になる中、新たに慰霊碑を地域の歴史的遺産として残そうとの声が上がっている」という内容です。

 「県内の慰霊碑は、民間で建てられた数として全国で最多の844基」と記事にありますが、2000年4月から2002年3月までに調査が行われ、2003年3月発行された国立歴史民俗博物館の『「非文献資料の基礎的研究」報告書 近現代の戦争に関する記念碑』によると、県内の記念碑は888基とされていますので、20年間で少なくとも44基は管理ができなくなった等でなくなっているということでしょうか。この数が多いのか少ないのか、よくわかりませんが、少なくとも意識的に保存しなければ、なくなっていくことは間違いありません。神社にあるものはある程度残りやすいと思いますが、ものによっては道路脇にあったり、地域の集団墓地の中にあったりするわけで、道路脇にあれば道路の拡張などで撤去される可能性が高いですし、墓地などでも敷地を整備するなどの際に撤去されてしまうことが考えられます。特に記事にあるように遺族会の管理だったものは、遺族の高齢化に伴い遺族会が解散したりするので、管理者がいなくなり、危険等の理由でなくなっていくことは大いにある話です(神社にあっても、神社周辺の開発に伴い、撤去されるということはあります)。

 保存を呼びかけている方が、「慰霊碑は平和を学ぶことができる地域の貴重な遺産。」と述べているのはまさにその通りで、その地域の歴史を語るうえで大切な歴史遺産なのですが、そうはいってもその地域の人たちが、自分たちの地域の歴史を語るうえで重要な遺産であることを意識して、それを残そうとしなければ保存することは難しいでしょう。このようなものを文化財として行政に頼ろうとすることが多いですが、普段から文化財の保存は一番後回しになりますし、予算もほとんどつきません。当該自治体内に同じようなものがいくつかあれば、地域バランスが悪くなるので特定のものだけを保存することはしません(それがよほど特殊な歴史的経緯があるとか、当該自治体全体を語れるものだとかの場合は別ですが)。
 現在それぞれの地域に残る文化財は、その地域に住む人が自分たちのアイデンティティーとして保存する必要があると判断するものを保存してきた結果現存するわけで、保存の必要がないと判断されて現存しないものも多くあるはずです。地域の人たちが、それぞれの文化財の重要性を認識し、残す努力をしなければ、どれだけ貴重なものでも残していくことはできないのです。「慰霊碑が全国で最多」であることは、戦争の記憶を残そうという考えが強かった結果であり、またそれを残し続けていこうという意思が、それぞれの地域にあったことを表すのだと思いますが、残念ながらそれが今後も続いていくとは限りません。何故なら、今や戦争の記憶は、それを語れる当事者がほとんどいなくなったため、今度はそれを語り継ごうとする人たちがいなければ、慰霊碑の存在意味も分からなくなり、残す意義がわからなくなる可能性が高まるわけです。その結果、悲しいですが自然となくなっていくものもあるわけで、それが人の歴史というものです。
 ただ、私も歴史にかかわってきている人間として、歴史を語る資料となるものはできるだけ多く残ることを期待しますので、ある意味この記事も多少なりともそれに貢献できると良いなぁと思います。


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