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観劇記録、コックピット「あしぶみ」

演劇ユニットコックピットの「あしぶみ」北九州公演に照明スタッフとして参加して、ゲネプロを観させてもらった。

初演は福岡学生演劇祭で上演した30分の芝居で、今回の再演は全国学生演劇祭に向けて脚本を改変し、俳優も一部変わり、45分の芝居になっていた。

誠一は戦争で死に、「霊魂」が娑婆に留まっている。誠一の家族は彼が死んだこと初めは受け入れられないものの、互いに感情を吐露し、前を向き始める。その光景を見届けた誠一は、最後、往生をとげる。

初演時と大きく変わっていたのは、「葬式」をあげた後か前か。
初演では、家族は、なかなか葬式をあげることができない。
一方再演では、彼らは既に葬式をあげた後なのである。

繰り返しになるが、この物語は、誠一が死んだことを受け入れていく家族と、それを見届ける誠一の物語で、再演では、葬式をあげた後でもまだその死を受け入れ切れない家族、そして、自分の葬式が住んでなお娑婆に留まり『ただいま』を繰り返す誠一の「あしぶみ」が際立っていた。

さらに言えば、坊主に念仏を唱えられることではなく、家族が前に進み出したことを見届けてやっと往生をとげる誠一の姿に、現代日本の宗教観が垣間見えた。

半年以上の時間をかけてこの舞台を作った演出にも感動。
この芝居は、やりようによっては、誠一は家族が作り出した集団催眠のようにも捉えられる。父親は何度も『誠一』と、息子を呼ぶような台詞を呟く。しかし、彼に、そこに「存在する」誠一の姿は見えていなかった。無宗教と言われる現代日本では十分に成り立つし、不謹慎だが、それはそれで面白いと思う。が、重要なのは、登場する人物は誰も嘘をついていないという点。
そして、「あしぶみ」をしていたのは残された家族だけではなかったのだ。

残された者の姿を同情的に描くのではなく、先立った者の苦悩や悲しみ、寂しさまでも描き切っていた芝居だったと思う。

他人行儀で書いてしまったけど、以前僕もこのユニットに客演で出演させてもらったことがあって、その時にも、脚本・演出の雪見さんは、心から人間を信じている人だと感じた。だから彼の厳しい言葉にも、キャストもスタッフも着いていくのだろう。
(主宰は役者の村上さん)

今回は事前の準備もほとんどなくどたばたの仕込みではあったけど、僕自信、彼と、コックピットの人達に惹かれてこの依頼を受けたところはある。
いい時間を過ごせた。

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