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俳優としての自分

一昨日、約半年ぶりに、昨年卒業して関東へ行った先輩に会った。この半年は色々なことがありすぎて、最後に会ったのがほんの半年前なのかと、半ば拍子抜けしてしまった。この先輩は僕を演劇の世界に引きずり込んだ張本人で、この出会いが無ければ今演劇はもうしていなかったと思う。

学生時代にやった舞台の話をしていて、当時僕は先輩の演出で役者をしていたのだが(改めて数えてみたらたぶん4回、学祭でやったエチュード企画も含めれば5回)、今まで1番辛かった舞台も、1番やりがいがあった舞台も、どちらもその中の1つだったのだと気付いた。

先輩の卒業後の1年間を否定するわけではないし、関わってくれた人、誘ってくれた人への感謝を忘れたわけではないが、その中で客演した舞台はどれも不満の残るもので、こなしていたに過ぎなかった。
その中で自分で考えてある程度は成長できたと思う。単純に色んな役をもらえたから経験は積めたし。でも、何か物足りない。

1番辛かった舞台というのは「六月の綻び」という、その先輩が書いた本で、共演していた初心者の女性が主にその原因。初心者に足を引っ張られるとかそんなくだらない理由じゃなくて、彼女の天才的な感性を僕の演技で震えさせることが難しく、舞台上で対面する彼女の表情にはいつも「?マーク」が浮かんでいた。最終的にはうまくやれたと思う。作品としてもいいものになったと思う。あんなに怖い思いはしたくないと思う反面、またやりたいとも思える。これは昔やってた剣道の「かかり稽古」ってめちゃくちゃしんどい練習があるんだけど(相撲の「ぶつかり稽古」みたいな)、それを今またやりたくなってるのに近いのかもしれない。

そういう、ヒリヒリした経験をまた舞台上でしたい。

陰湿集団のマネジメントみたいなとこで奮闘していた反面、俳優として自分が何をしたいのか、そのストイックさに欠いた1年だったように思う。

今年は昨年ほど演劇に時間をさくことはできないかもしれない。その分、ひとつひとつを濃いものにしていきたいし、今まで、敬遠していたところにも挑んでいきたい。

昨年以上に深いところで足掻く1年にしたい。

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