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役者さんごめんなさい、ありがとう

「pump」福岡公演終幕
北九州の企画に参加するこの芝居、あまりにも予約が少なく、「交通費が…」なんて福岡の声に答えて急遽、日曜日くらいに、この木金での福岡公演を決定した。

本当は1回ずつやって2回の予定が、観客の都合により4回に増えてしまった。特に最後の1回は、上演中に「(開演に間に合わなかった観客がいるから)もう1回やるか」という、まさに苦渋の決断。

この「pump」という芝居、テキストは、読めば15分で終わる2人芝居なんだけど、演出で動きを加えて45分に。諸々の事情で、役者が喋る量も2倍くらいに増えてしまった。

昨日の本番を終えて役者から「結局この芝居で何がしたいのか分からない」という意見をもらい、自分の不甲斐なさを嘆きながらも、その日自分が観て感じたことをまとめて改善点を出す。

なんやかんやあって今日の公演では、そのテーマ、登場人物2人の関係と、それぞれの結末により沿ったものになったと思う。

特に1回目と3回目では、役者の、台詞回しが大きく変わっていたのだが、それは僕が指示したものではない。今日座組でも話したことなのだが、演出家として、僕は演技について細かい指示をあまり与えず、役者に負荷をかけたり、イメージさせることで自然に彼らから出たものを採用していくことを心がけている。本当は、ピンポイントに、精密に演技を調節していく力が必要なのだと思うが、たぶんこのスタイルは当分変わらないと思う。

その3回目では、自分で演出しておきながら、ひとつインスピレーションを受けて湧いたアイデアがあったりもして、明日の北九州公演はかなり楽しみ。

それとは別に、今日観客の方から「なぜ裸足なのか」という質問を受けた。
正直あんまり考えてなくて、ただ、こういう演出をするので、役者に足の裏の感覚を大事にしてもらいたいというのはなんとなくあったんだけど、今日その3回目を観てて、「俳優が演じる意味」みたいなところなんじゃないかと。

できる限り役者の肌の露出は多くしたいし、何なら心拍数や血圧、体温もモニタリングしたい。
役者の演技がどう見えるか、という「結果」の前に、役者の身体に何が起きているのかという「原因」にその「演じる」ことを見ていて、さらにはその何が起きているのかということも外的刺激や役者が各々生きてきたことから生じる内的要因の「結果」であると考えていて。そういう、「原因」と「結果」の連鎖を積み重ねていくことで、「本物」(医者の役は医者がやればいい)ではなく「偽物」(医者の役を俳優がやる)ことの意味が見えてくるのではないかという実験をしている、つもり。まだ見えてない。

とにかく、今日は役者を酷使して、あしたも酷使する。もう少しお付き合いください。

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