見出し画像

本番前夜のドタバタ

客演でとある劇団の座組に加わっている。
単発カンパニーへの参加は今までに何度かあったが、既存の劇団にこのような形で加わるのは初めてで、まずこの劇団の一員としての自覚を持つことを意識した。
なんというか、自分はムードメーカー的な立ち位置にいるわけではないけど、楽しくなるのは割と得意だったり。

今回の演出家は、フィーリング派だと思った。
こういう分け方が正しいのか分からないけど、自分はロジカル派だ。

演出家はフィーリング派、演技コーチはロジカル派、なのかな。
自分が見てきた世界がまだ狭くて、例えばプロの演出家や俳優の仕事がどんななのか、例えば、ロジカルを十分に習得した上でフィーリング的な言語で通じ合えるとか、そういう世界なのかもしれない。

ただ、演技コーチはフィーリング派ではなれないと思うし、アマチュアや学生劇団の演出家は、ロジカル寄りである方が上手くいきやすいとは思う。

何故なら、彼らにはまだフィーリングで通じ合える程の経験は無く、知識を伴わずに、同じ風景を見ることはできないからだ。

とはいうものの、今回はフィーリング派の演出家で、フィーリング派はフィーリング派なりのロジックがある(矛盾しているようだが)。

彼らはよく「空気」という言葉を使う。
「空気」とは「呼吸」であり、それこそ、ロジカル派が好きな、スタニスラフスキイが言う、演技の基礎、無意識を意識することに繋がるのだが、この根っこが同じなのに、次の分岐が違う。

例えばロジカル派は空気の「上げ下げ(吸う、吐く)」で身体の状態を作り台詞を発したり、そこに生まれるストーリーを大事にしていると思う。

一方フィーリング派は、「なんとなく空気感が違う」といったことを言って、「役者同士空気を感じて」といった、感覚的なところからシーンを目的地に運ぼうとする。

言ってみればロジカル派は原因から作り、フィーリング派は結果から作るのだと思う。

ロジカル派の稽古はたんたんと進み、フィーリング派の稽古は身を削りながらずるずると進んでいく。

(演劇とは戯曲という結果に向かって原因という演技を付けていって、最終的にその先、舞台という結果を作る。そしてその舞台もまた最後の結果ではなく、終わりがないのだ)

というような自分が作るのとは違うタイプの稽古場で、今日は最終通しが終わり、そこそこ満足な演技ができ(正直昨日まで不安で仕方がなかった)、深夜に外に繰り出して服を汚し(「演出」だ)、日付が変わって床に着いた。

ここは僕が作るのとは違う「空気」で満たされていて、もうすぐ、終わる。

明日から本番、がんばろうか。

※フィーリング派とかロジカル派っていうのは今回の稽古場で、自分や、自分がお手本とする演出家に対して、自分がニガテとする演出家のやり方の違いは何かと考えた末、今思いついたカテゴライズだ。
今後の経験を通してこれもまた変わっていくだろう。それにしても駄文だったな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?