客観的に書かなければならないことは知っているが、客観的に書くことは難しい。
客観的に書かなければならないことは知っている客観的に書くことは難しい
「知っていることと書けるということは別だ」本当にそう思う。
アイリスオーヤマの大山社長が「知っていることとできることは違う」と言っているらしいが、どの職業でも同じらしい。
主観的文章は個人のブログであり、体験談だ。
調子に乗って書いていると、自然と主観的な文章になっている時がある。スピードを求められているときには、特に気持ちが内面に入り込んでしまって、外側の目線を忘れがちになる。
それは、多数の人が共感できるようなコラム記事にはなり得ない。
(ブログとコラムの違いは過去にこちらで書きました。良かったら読んでください。)
コラムは主観的に書く。それは、知識としてある。知っている。
しかし、客観的に書くのは難しいのだ。
客観的な信用できる数字か事実があるか
客観的になるには、信用できる具体的な数字や事実を入れて、読み手を納得させる。
この数字や事実をどこから持ってくるか、探せるか。
このコツがつかめるようになるためには、何度か「君の書くものは客観性に欠けている」と言われて、凹む必要がある。
今は、ある程度の統計データを探せるようになったことと、自分の書きたい記事の裏付けをどこで見つけるのかの想像ができるようになりつつある。
これがないと、うわさ話の域を出ず、読むに値しないと判断される。
無意識に使ってしまっている主観的な言葉はないか
無意識に書いてしまいやすい言葉の癖はないか。
指摘された文章があるなら、それは良いチェック材料になる。
はじめは「思われる」や「考えられる」と書くべきところを、「思う」や「考える」としてしまうことが多かった。
見る人が見たら、「いやいやココもだろう」と言われるに違いない。
癖は自分で見つけて、修正するしかない。
音読をしたり、一晩寝かせてチェックをしている。それでも、ミスはある。どうして見つけられなかったのかとがっかりする。
しかし、落ち込んでばかりはいられない。早めに仕上げて、読み返して修正するしかない。
例えば、「女優の山本舞香さんは美しい顔をしていると思う」は主観的だ。「美しい」というのも「思う」のも私なので、主観的な表現だ。
これを、客観的な文章に直すと、「女優の山本舞香さんは、映画情報サイトのTC Candlerが毎年恒例でおこなっている『世界で最も美しい顔100人』の中の日本人最高位22位にランクインしている。」とすれば良いのだろうか。
断定や強すぎる言葉や、感情を表す言葉、「美味しい。美しい。」などの形容詞を使うことも、主観的だ。
書くのは私だ、だから自然にしていると主観が出る。
少々冷静に、ちょっと自分から離れて考えるように意識して書くようにしたい。
まとめ 【魅力的な客観性のある文】
文章を書くときに、データや信用のある会社のホームページから引用しても、客観的ではあるが魅力的な文章とはならない。
最低限、客観性が保たれるだけのことである。
データから想像されること、複数の事実から導き出される結果、それらを掘り下げて、読み手の知りたいことの答えを明確に伝えて、読み手の未来につなげたい。
ワクワクと楽しい未来を想像できるようなデータを探したいものである。
客観的な文章ではないミスが多いと感じるのであれば、チェック回数とチェック方法を増やすしかないのだ。
ガンバレ、自分。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?