Re:memory

私は誰だろう。私は何だろう。

遡る事、6ヶ月前。気温も下がってきて涼しいより少し寒いと感じるようになった札幌に私はいた。大学の生活にも慣れ、バイトもそこそこに入っている平凡な大学生だった。日常生活、基本一人行動で人と関わるのが苦手な性格で暇さえあれば耳にはイヤホンを付けて自分の世界に入っているのが好きだった。
友達を作るのは苦手だったが、出来た友達との付き合いは長く続く方だと思う。小中と一緒で高校で離れた友人とも焼肉に行ったリするし、高校の同期とも時々会っては夜まで遊んでいた。

私の日常は、なんの変哲の無い日常と少しの刺激で成り立っていた。そんな日常に変化が起きたのが6ヶ月前だ。高校の時に先生に半強制で参加させられた北海道大学の企画で知り合った友達のインスタのストーリだった。その友達は、行動力があると言うか自分の「やりたい」を実現する為に行動しているような人だった。東京の大学に進学した友達は、新しいプロジェクトに参加していた。私は他人事のように「すげぇな」と呟いていた。私には関係ない、私に出来るわけがない。そう思っていた。いや、興味があっても入った後の事を想像すると怖くて、そう思うように念じていたのかもしれない。

そうやって、現状を守るように逃げていた私にインスタのストーリは呟いてきた。『4期のTA募集中』。参加すれば友達のようにカッコよくなれるのかな。友達のように自分の気持ちに正直になれるのかな。もし、そうなったら自分の人生はどうなるんだろう。でも怖い。私はプロジェクトに参加するような人じゃない。とにかく、沢山の事を考えていた。
変えるなら今しかない。そう覚悟を決めて応募フォームを一つ一つ埋めていた。一つ埋める度に今までの日常が壊れていく感じがして、だんだんタイピングする指は遅くなっていた。一番遅くなっていたのは、全ての項目を埋めて【送信する】を押す瞬間だ。ここに来て恐怖を頂上を迎えて悩みの渦も早まっていた。恐怖と戦い、自身と葛藤して、押すのに10分もかかった。体感としては40分は悩んでいた気分だ。16時48分。あぁ、もうこんな時間か。ドッと疲れた体を休めようと眠りに入った。

その後、プロジェクトの説明会と先輩との1on1があったけど、記憶はほとんどない。緊張していた。
面接もした。面接官は私よりも若いか同じくらいの見た目で私より年上だった。何を聞かれるのかとドキドキしていたが、質問は皆が想像する質問と言うよりも面接官が気になった事を聞いてくる事が多くて人間性や物事の決め方を見られているような感じだった。

11月1日15時52分 1通のメールが来た。「ProjectZENKAIについて」と書いてあった。選考結果だろうか。結果は11月4日頃だったはず。こんなに早く来たという事は落ちたという事?やっぱり私には無理だよね。と安堵する気持ちと悔しさが混ざっていた。
恐る恐るメールを開く。下にスクロールしていくと、そこには「私と一緒に4期のProjectZENKAIを作っていきたい」と書いていた。人生の転換点だ。それもただの転換点ではなく、自分で選んだ初めての転換点だ。
体に鳥肌が立ち、震えていた。これは嬉しさからなのか衝撃からなのかは分からないが、ものすごく心と感情が動いたのは確かだろう。

11月6日。4期のTA が全員決まった。10人の仲間といざスタートと思ったけど私の思考は一瞬止まった。私以外のTAが皆、異性だったからだ。おいおい、これはどうゆう状況だ。とリヴァイ兵長も言ってしまうだろう。
関わり方や対面で会った時の距離感・会話の距離感とか色々考えていた。接しながら考えていこう。そう思っていた。
とりあえず関わってみる事にしたのは、翌日。TimeRexを作ってグループに送った。ほとんどの人と話した気がする。そして思ったのは、考えるまでも無かったかも。性格は違うけど友達であり仲間だから。先輩であり後輩であり、先生であり生徒の関係にある私たちに距離感は必要ないと思った。敬語を使うのも、もったいないと感じた。緊張感のある私は、この日以降出る事はほとんど無かった。
その後、私たちは研修期間で自己開示をして仲間の事を知ってZENKAIになる為にはどうしたら良いのか、高校生の皆をZENKAIにするには何ができるのか考え、学び、話し合った。そして運命の1月、ZENKAI 始動。


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