「憧れ」について

こんにちは!ヤマです。
皆さん、憧れの人はいますか?友人や家族、TVに出ているあの人など憧れる人がいる人は多いと思います。今回は私の「憧れ」について書いていきます。

結論から言います。私には、憧れる人はいません。
今、えぇぇぇぇ!!って思いましたか?それとも、なんで?って思いましたか?まぁ、どちらの反応でも納得できます。
憧れについて書くのに、憧れの人がいないなんて可笑しな話ですよね。
でも、本当なんです。これから理由を話しますね。

私が憧れる人を持たない理由

私に憧れる人がいない理由は、沢山の人を見たいからです。
私の考えなんですけど、憧れる人を持ってしまうとその人しか見えなくなってしまうような、その人に繋がる道しか見えなくなってしまう気がするんです。本当は、沢山の人がいて、沢山の道があるはずなのに、それが見えなくなっちゃうのが、すごくもったいないと感じてしまうんです。
私は、沢山の人と会って、その人の長所や特性を見つけていきたいんです。そのために、沢山の寄り道をして沢山の経験をして沢山の人に会いたいから、あえて憧れるのをやめました。

「憧れ」と「夢」について

でも、憧れる人がいる人を否定しているわけではないです。その憧れが原動力になって日々、少しでも近付こうと努力している人は素晴らしいと思います。
だけど、行動している人が見ているのは本当に憧れなのだろうか?私は夢だと思う。憧れは例えるなら、一本の木のようなモノだ。誰にだって見ることはできる。
一方で、夢とは山である。無数の木があり、時に木で傷付くこともある。これでも、進み続けた先にある何かのために頑張れる数多の憧れで出来た道である。
つまり、憧れを持って行動した瞬間に、それは夢に替わる。
憧れは持つために、夢は叶えるために存在する。一本の木が魅せる景色はすぐに終わるが、山が魅せる景色は永遠である。

現在、私が活動しているProject:ZENKAIでも沢山の人に会いました。皆さん、私にはない個性や考えを持っていて、会話するのが楽しくてたまらないのです。
Projectが始まると、高校生との会話が一気に増えます。一人一人の憧れを輝かせたい。できるなら夢にしたいです。



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