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ヤマという作品について

こんにちは。ヤマです。
先日、ふっと思いついた企画。書く内容を他の人に決めてもらうこの企画。
第1弾は、『超詳しい自己紹介』です。
ありきたりな自己紹介を膨らませてもダメだなと思い、考えること2日。
私の性格や考え方的な内面の奥の奥について、自分なりに分析して書いてみようと思います。


基本情報

すぐに入っても、頭が追い付かないと思うから基本的な事を少しだけ書いておきます。
私は、札幌市でのんびり暮らす20歳の大学生です。最近、身長が1cm伸びて喜んでいます。
大学では経済学を学んでいますが、最近は社会福祉にも興味を持ち始めてます。
趣味は、写真を撮る事・音楽・温泉など挙げ始めると止まらないです。

性格①

私は、大きく2つの性格があると思います。
1つは、ものすごくネガティブで心配性な性格。この時は、いつもの3倍は繊細さが働いてると思います。言動1つで、ものすごく考えてしまう。考えれば考える程、不安は減るどころか増えてしまう。周囲を俯瞰して見る範囲も大きくなって、まるでSPです。
2つ目は、とても楽観的で明るく少年のような性格。この時は、ものすごいポジティブだし、おしゃべりだし、毎回滑るボケもする。周りが笑ってくれるのが嬉しくてもっと、はしゃぎだす。単純な子どもです。
対極な2つの性格を持っているから、振れ幅が激しいのも私の特徴だと思う。

なぜ、こんなにも振れ幅が激しいのか?自分なりに考えて出てきたのは人が怖いからだと思う。
私は、いつからか人と関わる事に一種の恐怖感を持つようになった。信頼や何を考えているのか、目には見えないが確かに感じれるものに敏感になり、深く考えるようになったからだろう。
なぜ考えるようになったのか、思い当たる節はある。いじめ・親のDV・孤独。暗い過去の後遺症なのだろう。それゆえに、最初は印象を良いものにする為に明るく振る舞う事が多いのかもしれない。他のも大人数が集まる時は空気になる事に徹する。これは、繊細さが働いている証拠だろう。人数が多くなれば、それだけ多くの人の立場になって考えてしまう私は、考えすぎて頭がショートした結果、空気に進化する。その時の私はただの傍観者である。

性格②

さっき、人が怖いと言っていた私ですが人との繋がりをすごい大切にしています。
関わった人とは、ずっと関わっていたいと常に思っているし私が役に立てる時には全力で動きたいし幸せになって欲しいとも思っている。なんだろう、人が好きなのか、関わる人みんな好きなのか分からないけど私と関わってくれた人に、良くも悪くもすごい気持ちを入れてしまう特徴があります。
もう一つのの特徴として、観察力に優れている所です。自分で言うの、なまら恥ずかしいです。
これは、俺もあまり言語化出来ないんですけどその人から出てる無意識のサインみたいなモノがあって、それを感じる事が周りの人よりも多いなって思う事があります。その人といる時に感じる違和感から、気にかけてみたりとか仲介して他の人に相談する事が多くて、これは普段から気にかけているというか観察していないと出来ない事なのかもって思いました。あなたの周りに、そうゆう人がいたら褒めてあげて欲しい。この観察する力って想像以上に体力使うから。

生きる理由

私は哲学的な事を考える事が多い。大学も含め基本的に一人行動の私には、ピッタリの暇つぶしの1つです。
ある日、「なぜ、私は生きるのか」考えていた。私の答えは会いたい人がいるから。

この答えが頭に浮かんだ時、同時に私は幸せを感じた。かつての私は、1人だった。楽しみもなく何もかもが下へ下へベルトコンベアーで運ばれているような日常の中にいた。
現在、私は会いたい人がいると言える世界にいる。1人ではない世界にいる。こんな幸せな世界にいる幸せ者なんだと感じました。

P.S.

私は私を、まだ知らない。
ここに記しているヤマは、一つの側面でしかない。私が知らないヤマ、まだ気付いていないヤマ、私以外にしか見えないヤマ。沢山のヤマがまだ隠れている。それを見つけるたびにヤマと言う作品は変わっていくものであり、私の命が続く限り変わっていく。
春のまだ冷える空気の中で私は、笑みを零す。。。





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