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今更だけど「たりないふたり」を見ての感想

若林正恭氏と山里亮太氏が組む「たりないふたり」というユニットコンビが解散した。ラストのライブが5/31に行われ無観客でネット中継された。

人見知りで社交性が足りない2人がコンプレックスをネタにしてネタを行っていたものだ。詳しくはwikiなどを参照してほしい。

私は5/31に行われたライブのアーカイブを見て笑いながらも泣いてしまったのだ。

私が泣いたのは何故か。

彼らが舞台で喋る言葉に自分と重ねてしまう部分があるからだ。

それは若林氏にしても山里氏にしても冠番組を持ち家庭を持って足りた側に見える。足りた側だからわしら一般人とは違うんじゃ無いか?という意見もあるだろう。しかしその手の話は軽率な考えだ。

歳を重ねて行くと段々と感情に伴う衝動的で安直な行動を抑えられるようになる。また仕事においても重要なことを任されるようになるものだ。家庭を持つ者も出る。

しかしそれは色々と歳を重ねて演じられるようになった自分でしかない。皮を剥げば中学生高校生時代の自分がいる。

私自身学生の頃からなんら変わっていない。
自分の武器強みも変わっていない。
武器を社会の営みを経ていく上で見せかけのカスタマイズをして今なんとか社会生活、労働者としての生活を送れているだけだ。
社会に出て手に入れた新しい武器なんかは何にも無いのだ。

学生時代と変わらない自分と見せかけのカスタマイズされた武器を手に歳を取り責任を持つ役割を果たして進んでいく。これが大人になるってことなんだと思う。
責任を背負うことでまたより洗練された演じる自分が出来ていき武器も洗練されていく。
これをしないといつまでも大人にはなれないのだろう。
特にネットでは全てを他責にして目立ち暴れている連中が跋扈しているが、今ある日常や社会を支えているのは
大人達だ。一部の他責で暴れている連中がガキのように自由に生きれているのは基盤を守っている大人がいるからだ。
毎日通勤し黙々と業務に向かい理不尽なことに耐えながら仕事をしている大人達。彼ら彼女らが支えている。
しかもそういう大人こそ自分はまだ足りていないと考えているものだ。
他責で暴れている連中は自分は足りていると勘違いしているからそこ暴れているのだろう。
私達は足りてない。足りてないからこそ足りようと知らず知らずに努力していく。

それを「たりないふたり」という笑いを交えたもので若林さん、山里さんが見せてくれた。
本当に素晴らしくて面白いものを見れて私は幸せだった。

2人には感謝したい。

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