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おじさんになるということ

先月、1年歳を取り34歳となり、またおじさんになってしまった。

どうしても大人になれたとは思えない。
他人にイライラするし、隠れて愚痴も言う。
今だに甘いお菓子も食らうし、アニメも漫画も読む。
ビールも苦手だ。
大学生と何ら変わらないようにしか思えないのだ。
しかし老けていくのは分かる。
老けた子供なだけじゃないのかと思っている。

まあしかし褒めて頂けることは増えたし、頼られたり、相談されるようになった。
それは何なんだろうと考えると役割を演じているということなのだろう。
上司や先輩やおじさんを演じているに過ぎない。

今まで使って来たスキルや人脈や経験を使い、後輩君達が働き易いように色々と動き、自分のノウハウを教えて、周りに頭を下げることもする。
怒られる場面になれば自分が矢面にも立つ。

はっきり言って役職手当とは合わないとは思う。しかしそれを果たすのは、役割を演じることに一種の格好良さなどを感じ自尊心を満足させるからだろう。
また、私は嫁も子供も居ない独り身だ。いざとなれば何も気にせずに死ねるぐらいに思える。故に他責にする必要性が低いというものもある。謂わばダサいことをするより役割を演じるかっこよさを選べる自由があるのだ。

私が見ていて今の50代前後の部下を持つ方々を見ていると部下を守ることより自分を守ることを優先しているのではないかという場面に遭遇することがある。
他から部下が攻撃されている時に一緒になり責めることすら見かける。
私はそれが嫌で嫌でしょうがない。

そういうおじさんには絶対になりたく無いと思いながら眺めている。自分の後輩なら私はその攻撃から守り、力が弱くて防げないが一緒に矢を受けるようにしている。私は幸いにして口が動くタイプだし、言われたら言い返すので、矢が私の方に向くので役割は多少果たせるし、当事者じゃ無いからこそ妥協点や解決案を出せることもある。

往々にして、矢を向けて来る方々は子供や家族を持っている方々が多く、自分を守ることと家族を守ることが不可分になり、部下や後輩よりそちらを優先にしているからそうなっているのでは無いかと思っている。
50代辺りの世代で後輩を守る側に回るのは未婚のおじさんや子供が成人を超え社会人になった方ばかりのこともあり、家族を持つことは部下を守りにくくなることでは無いかとすら思っている。

先日休日出勤した時に40代の先輩と話したことがあった。その時に50代の方々の話をしたのだが、先輩が言われていたのだが、自分が若い時には後輩の側に立つ人が何人かいたし、その方々がいるから自分達はある程度伸び伸びやれていた。今は居ないから大変だろうなと。その先輩はそうなれるように頑張るが、なれるか分からないと言っていた。

家族と後輩、どちらも守るのがおじさんの役割なのだろう。しかし、30年以上続くデフレ不況、晩婚化などにより、おじさんが他人を守れる余裕が無くなっている。
守らないおじさん達にもそうなる理由があるのも分かる。
であれば、裏で後輩君達に守れずにすまないなど役割を果たせないことに対して役割は分かっているが事情があることを伝えてやるべきではなかろうか。

色々な力が無くなっても果たすべき役割はあると私は思う。それは保守的な価値観かもしれないし、時代遅れの考え方なのかもしれない。しかし、役割を果たしていくくとが日本や人間社会を継続し発展するためには必要なことだと思う。そうでなければ、社会の継続は難しくなるだろう。社会は教科書的にマニュアル化されそれを読めば運営できるものではない。マニュアル外のことも含め伝承されることで運営継続できるのだ。それは役割を果たすという気持ちがなければできない。

役割は理解していることと役割を果たせることは違う。
理解しても果たせないことが多くなっている。しかし本来果たすべき役割はさほど変わっていないと思う。
であれば、役割を果たせなかったことについて素直に吐露するのもまた役割の使命ではなかろうか。
今の若い子達は優秀で素直だ。役割を果たしたくて果たせなかったとして責める子を見たことがない。それを吐露することで自分達を守ろうという気持ちが分かるだけで救われることもあると聞いた。

令和のおじさんは果たすべき役割はそのまま変わらないものの出来ることはやり、出来ないことは説明するようにならなければならないのだろう。
デフレ経済が回復し、日本が再度発展するに際して、今の若者がおじさんになった時、また本来おじさん達が背負うべき役割を果たせるように役割を伝承すべきだと思う。

私達世代では多分経済が昇りになることはないだろう。
しかしだからと言って役割を放棄し伝承すらしなくなれば経済的に回復しても上が下のものを守らず責任すら押し付ける社会になってしまう恐れすらある。
私はそういう社会を残すのは嫌だ。

私はおじさんとしておじさんの役割を自覚したいと思う。どこまで果たせるのかは分からない。
ビールも好きではないが、ビールをとりあえず呑むというおじさんになっていこうと思う。それがおじさんを演じるということの一歩なのだから。




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