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【再掲】はじめに。【ウィーン留学記】

※この記事は2024年7月1日にアップしたものですが、あやまって削除してしまったので、再掲します。(スキを付けてくださった方、コメントを下さった方、すいません。)

ウィーンから、こんにちは。

4月のあたまに日本を出発してから、3か月になる。京都から、オーストリアはウィーンへ、はるばるやって来た。少しずつ、こちらの生活にも慣れてきたので、ぼちぼち雑感を言葉にしていこうかな、と。

簡単に自己紹介をすると、文系の博士課程の学生。文系の中でも文献学を、扱っているのは古典テキストである。課程三年を修了し、来年に博士論文を提出予定(!)。学生として過ごすラストの年に、いろいろと条件がうまく重なったおかげで、ウィーンで学ぶ機会を得た。

4月にウィーンに到着してから、ビザ申請をはじめとしたもろもろの手続きや、授業の準備に追われ、水中でジタバタ溺れているような感覚で日々を駆け抜けてきた。最近、やっと自分のリズムで呼吸できるようになってきたように思う。水面から、やっと顔がでた感覚。

到着したころはまだ肌寒さが残っていたが、ぐんぐんと気温は上昇。夏の到来を感じさせる、まぶしい陽光。日中は歩いていると汗が出てくる。ギラギラと照り付けられるものの、空気はカラッと乾いていて、湿気が肌にまとわりつく日本の暑さと比べると、過ごしやすい気がする。

写真を見た友人「色がヨーロッパやな~」(8 April 2024)

授業の準備と、自分の研究に追われながら、なんとかサマーセメスターが終了。まったく新しい環境で、何をやろうにも、どないしたらええねん、から始まる日々。ままならないことの連続で、心が折れかけることもしばしば。とりあえず、なんとかなっただけ、という感じの日々。

(スタッフの方にコピーマシーンの場所を尋ねたらコーヒーマシーンの場所を案内されてキャンパスを彷徨ったり。結局コーヒーマシーンも見つけられなかったし。コピーマシーンは自力で探した。)

しかし、喉元すぎればなんとやらで、振り返れば、まあ全部ただの雑感である。それを少しずつ言葉にしていくことが、自分にとって意味のあることのような気がしている。言葉にすることで、雑感が、より雑感らしくなるというか。良きも、悪きも、おしなべて雑感。言葉にすることで、特別な響きを与えるのではなく、日々動き続ける自分の感情の、ただの一断片におさめたい。

というわけで、ぼちぼち書いていく。

冒険の季節

はじめに、ということで、出発の日のことを振り返る。4月2日の夜、空港にて。スーツケースを預けるための長い列にて。移動中に読もうと購入し、ダウンロードしていた書籍を開いた。旅のお供に選んだのは『私が諸島である:カリブ海思想入門』だった。

フライトは、成田空港からカナダのトロントを経由するルートを選んだ。日本で助成金の類の一切に恵まれなかった私は、少しでも節約しようと、トロント・ピアソン国際空港のベンチで一泊した。結局眠れないまま、ベンチでひとり夜通し本を読んだ。その本は、サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』ではなく、ジョージ・ラミングの『冒険の季節』だった。

中村達『私が諸島である:カリブ海思想入門』(電子版)p.9 (書肆侃侃房, 2024)

出発直前の緊張感の中、「冒険」という言葉がやたらと目についた。しかし、胸にあったのは未知に飛び込むワクワク感よりも、いったいどうなることやら、という不安であった。まあ、それもまた今となっては雑感である。

飛行機では爆睡で、本を読む進めることができなかったが、ウィーン到着後に読み終えた。全体を通して学びの多い一冊であったが、特に好きなのは先に引用した部分の直後である。以下に引用して、ひとまずここは締めておくこととする。

寮についた私は、割り当てられた部屋に入った。机と冷蔵庫、ベッドのみの質素な部屋だった。窓はガラスではなく木の板が並べられたものだった。網戸はない。1階の部屋なので、窓を開ければ虫は入り放題だった。パンパンに膨らんだバックから、日本の家電量販店で購入した小型の扇風機を取り出し、机に置いた。さぁ、始めよう。新しいノートを開いて、『冒険の季節』からの引用をひとつ書いた――「自由とは、お前が何であるかだ」。

中村達『私が諸島である:カリブ海思想入門』(電子版)pp.9-10 (書肆侃侃房, 2024)
寝てる人が銅像の一部のよう(30 June 2024)
#wienliebe (30 June 2024)


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