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新しいもののために場所をゆずる金木犀を惜しみつつ、人類絶滅に思いをはせるっておおげさな話(笑)

図書館への道すがら、事務所から什器が運び出されているところを見かけた。そういえば、その裏手にあるお宅のご老人が、5月25日に立ち退くというお話をされていたっけ。いよいよ再開発が始まるらしい。

敷地の角に形のよい金木犀があって、秋を知らせてくれていた。この秋に花を咲かせることはないんだな。記憶にとどめておきたくて写真を撮った。

事務所は3階建ての小さな建物で、軒下には、毎年つばめが巣をつくっていた。今年はまだ来ていなかったかな。巣が途中で壊されることにならなければいいけれど。いつも巣をかけていた場所がなくなると、つばめたちも困るだろう。

先日、あるところで、桜の木に何やら張り紙がついているのが目に留まった。近寄ってみると「老木のため倒れる危険があるので伐採する」というようなことが書いてあった。幹は、私が抱えきれないほど太く、風格のある木肌は確かに若くはない。でも、見上げれば、花の時期に来たかったなと思わせるみごとな枝ぶり。下を見れば、アスファルトに阻まれて根がこぶのように力強く盛り上がっている。まだまだ元気だよ。

その桜は、更地になった宅地の角に立っていた。おそらく住居を建てるのに邪魔なんだろう。

神宮外苑の木々や横浜瀬谷の海軍道路の桜が、再開発を理由に伐採されようとしているらしい。1本の木から林や山まで、規模は違っても世界中で開発が進み、便利さとひきかえに動植物の命が奪われてきたし、その流れは止まらない。ときには開発のために人の命を奪っていたのではないかと示唆する番組*を見て衝撃をうけたこともあった。

*NHKスペシャル 大アマゾン 最後の秘境 第4集「最後のイゾラド 森の果て 未知の人々」(2016年8月7日放送)を見て、そのように理解したのだけれど、もし私の誤解であれば、教えていただければうれしいし、救いがある。。

口減少とかSDGsとか人いいながら、こんなに開発が必要なのかと個人的には思っている。開発と環境保全のバランスをどうとるか、考え方や方法を実際に変えることは簡単ではないだろう。なによりも経済を回すために開発を止めることはできないのだと思う。

そうは思いつつ、伐採どころか、無残に剪定された街路樹を見て胸を痛めるようなセンチメンタルな私に、活を入れてくれたのが、『生物はなぜ死ぬのか』という本。

ごく簡単に私なりの理解を要約すると、「死」は進化がつくった仕組みであり、「絶滅」も生物の進化には必要だということ。著者の小林武彦先生は、あっさり(と私には感じられた)人類絶滅の危機についても書いている。

日本などの先進国の人口減少が引き金となり、人類は今から100年ももたないと思っています。非常に近い将来、絶滅的な危機を迎える可能性はあると思います。

小林武彦『生物はなぜ死ぬのか』講談社現代新書(2021年) p.166

私も人類が絶滅する可能性について考えなくもなかったけれど、100年は早すぎじゃないかと思わず読みながら突っ込みを入れてしまった。

冷静になってみると、環境時計は着々とカウントダウンしているうえに、すでに第3次世界大戦のさなかだという識者がいたり、気候変動とともに新しい感染症が広がる危険があると聞いていたことが現実になったり、もしかしたら、100年もたないかもしれないと心配になってくる。人類の端くれとしては、先生の予想がはずれることを祈るばかりだ。

でも、生物の端くれとしては、人類が絶滅すれば、新たな種が進化していくだけで、ヒトとは違う進化を遂げて持続可能な社会を築くかもね、と思ったりもする。

人類の未来が絶滅と決まっているわけではないのだから、ささやかでも自分にできることを日々していこうと思う。