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吉持亮汰(元楽天)ドラフト答え合わせインタビュー全文公開!【後編】自分の打撃を取り戻した金森栄治コーチとの出会い

絶賛発売中の『別冊野球太郎ドラフト答え合わせ1998-2022〈増補改定・完全保存版〉』では、NPB現役から離れた6名のインタビューを行いました。
嶋基宏(元楽天、ヤクルト)、坂口智隆(元近鉄、オリックス、ヤクルト)、内海哲也(元巨人、西武)
白濱裕太(元広島)、寺島成輝(元ヤクルト)、吉持亮汰(元楽天)
アマチュア時代から取り上げてきたからこそできる、内容の濃い、プロ生活を振り返る「ドラフト答え合わせインタビュー」ができました。

noteでは本誌4ページに収まりきらなかった部分も含めた全文を前編・後編に分けて、公開しちゃいます!
【前編はここをクリックしてください】

●忘れえぬ金森コーチとの日々
 
――ただ、最後のシーズンとなった22年にはイースタンで2年目以降では最多となる5盗塁を決め、成功率10割。スピードスターの片りんを感じさせる成績だったように思いました。
吉持 最後のシーズンは足を故障した18年以降、一番身体の状態がましだったんですよ。痛みはあるけど、自分の中では足の調子が1年を通じてよかった。それが数字に出たんだと思います。
――少し体の状態がましになるだけで数字に変化が表れるのがすごいです。打率も2割9分2厘。3年目以降では一番いい数字です。
吉持 足の状態が自分なりに良かったことがバッティングにも好影響を与えましたね。下半身に力が入り、思うように動かせましたから。加えて、金森栄治打撃コーチ(元西武ほか)の指導を1年間継続して受けることができたことも自分にとっては大きかったですね。確固たる打撃技術が自分の中に宿った感覚がありました。
――金森さんは2021年秋に育成の打撃コーチに就任したんですよね。
吉持 そうです。僕も2022年がラストチャンスだと思っていましたし、変化がなかったバッティングをなんとしても変えたい、と思っていたところに金森さんが育成のコーチとしてやってきた。金森さんがロッテのコーチ時代に荻野さんを教えていたことは知っていましたし、「この人に打撃を教わりたい!」と思ったんですよね。
2021年の秋季キャンプで金森さんに「僕も荻野さんみたいに打ちたいです」と相談したら「じゃあ今日から俺と一緒にやろう」と言ってくださって。「ご指導お願いします」と。
――弟子入りしたわけですね。
吉持 はい。その日にいきなりマシンを3時間打たされたんですよ。全体練習が終わってから。その間、金森さんはずっと横で見てるんです。そしてちょっとでも気を抜いたスイングをすると「抜くな」と叱られるんです。
――でも、それは3時間、常に真剣に見てくれている証でもありますね。
吉持 そうなんですよ。「すごいな、この人」と思ったんですよね。
――金森コーチの教えを体で理解するには少し時間がかかるという話を金森チルドレンの選手から聞いたことがあります。吉持さんはどうでしたか?
吉持 僕は4日目にコツらしきものをつかんだんですよ。
――4日目!
吉持 最初は金森さんから「石の上にも3年だ。上達するにはそれくらいの期間を要するつもりで」と言われたんです。たしかに最初はよくわからなかったです。
――でも4日目でコツをつかんだ。
吉持 金森さんも「お前、俺の教えを4日目で気づくなんてすごいな! すごく早いぞ!」と言ってくださって。そこから余計に練習が面白くなっていったんですよね。「すごく熱心な指導者だし、人間性もいいし、この人を喜ばせたいな」と思ったんです。
――いいモチベーションも加わった。
吉持 2021年の秋季キャンプが終わり、オフシーズンに突入してからも、付きっ切りで指導してくださって。毎日毎日バッティングピッチャーを務めながら、アドバイスを送ってくださった。当時65歳ですよ。
――すごいですね……。
吉持 翌2022年の春季キャンプが始まっても、早朝と全体練習の後に指導してくださった。いつも最後まで打ってました。
――ポイントを近くして、下半身をしっかり使って打つ。理論自体はシンプルですよね。
吉持 そうなんです。ボールを長く見て、下半身を使って打つ。言っていることはなにも難しくない。でも、体をしっかり使うのでめちゃくちゃしんどいんですよ。いかに自分がいままで手先で打っていたかを思い知らされましたね。やはり率の残らない打ち方をしていたんだなと。
――なるほど。
吉持 そんなマンツーマン指導の日々を続けるうち、アドバイスの数がだんだん減っていったんですよね。最初の頃は2球に1球はなにか言われていたのですが、どんどん減っていって、最後の方はほとんどアドバイスはなかった。少しは認めていただけたのかなと思えました。
金森さんからは「少し結果が出ないからといって、取り組んでいる打ち方をシーズン途中で変えたりすることはやめよう」と言われました。「思うようにいかない時も取り組んでいるやり方を信じ抜くことがなにより大切。信じる者は救われるんだ」と。
 
●もしも過去に戻れるならば
 
――最終的に金森さんの教えをどのくらいものにできた感覚がありますか?
吉持 9割くらいですかね。
――9割! すごいじゃないですか!
吉持 残りの1割は、金森さんが教えてくださった打ち方で1軍でヒットを打つことでしたが、それは叶わなかったので……。でも、金森さんも言ってくださいました。「こんな飲み込みの早い選手はなかなかいない」と。
――嬉しいですね。最後のシーズンはロッテの荻野選手と見間違うほどにフォームが似ていました。
吉持 荻野さんの打ち方を意識していなかったと言えば嘘になりますね。
――最後のシーズンは大学4年生の時のように大胆にバットを短く持っていませんでした?
吉持 そうです。金森さんのアドバイスでバットを大学時代並に短く持つようにしたんです。
――プロに入ってから、大胆に短く持つことをやめていた時期が長かったですよね。
吉持 1年目はまだ短く持っていましたが、2年目以降は少しグリップを余す程度でしたね。
――大胆に短く持つのをやめた理由はあるのですか?
吉持 プロの力強いボールに負けてしまう気がしたんですよね……。でもミートの精度が落ちるなど、デメリットのほうが大きかった。対処法としては結果的に間違いでしたね。大胆に短く持つことが自分に1番合っている。そのことを最後の年に思い知らされました。もしも過去に戻れるなら、プロに入った時の自分に言いたいですね。「大学4年生の時のようにバットを大胆に短く持ってプロ人生を全うしろ!」と。
――ケガをしていたとしても、もっといい打撃成績が残せたはず。
吉持 そう思います。
――昨秋の合同トライアウトで打ったライト前へのクリーンヒットは見事でした。
吉持 金森さんと取り組んできた成果と思えるヒットでした。あのトライアウト、金森さんも見に来てくれたんです。
――そうだったんですか! 「いいバッティングじゃないか!」と褒めてくださったのでは?
吉持 そう言ってましたね。金森さんの前で最後にあのヒットを打てたことがよかった。1軍では打てなかったけど、最後にあの場で見せることができて本当によかったです。
――ケガをしたことによって練習で思うように量をこなせなかった、打ち込みができなかった、というもどかしさはなかったですか?
吉持 それはなかったです。どんなに痛くても練習だけは絶対に手を抜かないでやろうと思っていましたし、最後までやれた自信があります。
――完治はない中で、常にベストを尽くしていた。
吉持 いつクビになってもいいっていうぐらいの練習はしていました。悔いが残らないように。
――悔いが残らないように。
吉持 妥協して、中途半端に練習してクビになったら後悔するなと思った。それだけは絶対に嫌だったので……。
――それが痛くても量をこなせた理由。
吉持 はい。
 
●球団には感謝しかない
 
――4年目以降、育成契約が4年続きました。
吉持 大卒で育成4年って珍しいケースですよね。でもなぜ4年もチャンスを頂けたのかは正直、わからないです。
――契約更新時に球団からはどんな言葉をかけられたりしたのでしょうか。
吉持 3年目あたりまでは「ケガさえ治って体が万全ならレギュラー獲れるぞ! 来年はやってくれよ! 期待してるぞ!」と毎年言われ続けましたが、育成になってからは、人間性も高く評価していると言われました。「野球に対する姿勢、練習態度などもこちらはしっかり見てるから。ケガに負けるな。頑張れ」と。
――そうだったんですか。
吉持 大卒で結果も残せず、ケガばかりだった自分は3年目が終わった時点でクビになっていてもおかしくなかった。7年も契約を結んでくれた球団には感謝しています。今後のことは未定ですが、プロでの経験をこれからの人生に生かせていけたらと思っています。
(取材・文=服部健太郎)

吉持亮汰プロフィール

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