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【WBC・侍ジャパンメンバーのあの頃】不振は劇的さを増す演出かのように、勝負所で活躍した村神さま。その村上宗隆の高校時代に立ちはだかった壁とは

WBCことワールド・ベースボール・クラシックで日本一に輝いた侍ジャパン。その流れで、NPBの試合で見たり、一球速報を追ったりする際に、各選手のバックボーンを知っていると、よりおもしろく、より愛着を持てるはず! そんな選手の背景がわかる『野球太郎』の過去記事を公開します。

今回は村上宗隆(ヤクルト)をご紹介。WBCでは不振に陥りながら、準決勝でのサヨナラ打、決勝戦では本塁打といい場面で結果を出し、さすが56本塁打の三冠王と輝きました。ただ、このWBCの不振よりも、プロ1年目の壁よりも、長らく打ち取られ続けたのは高校2、3年時だったというのはご存知でしょうか?
プロでは結果的に内野手転向となりましたが、攻守において、向上するためになんでも参考にする姿など、『野球太郎No.025 2017ドラフト総決算&2018大展望号』で掲載した記事をご覧ください。
(取材・文=加来慶祐)

肥後のベーブ・ルースは打って走れる大型捕手

もう一人の怪物

 2年前の夏に甲子園を沸かせた「もう一人の怪物1年生」が、まさかの3球団競合によるドラフト1位指名を受けた。
 九州学院高・村上宗隆、捕手。高校通算52本塁打のパンチ力に加え、二塁送球1.84秒の強肩と187センチ95キロという大きな体を苦とせず、50メートルを6秒1で駆ける俊足の持ち主だ。「長打のある左打ちの捕手」という点では阿部慎之助(巨人)と通ずるところはあるが、村上には阿部や他の捕手が持ち合わせていないスピードがある。底が見えない将来性という点で、村上は中村奨成(広陵高→広島1位)に勝るとも劣らぬ逸材といっていい。
 入学後すぐに強打線を誇る九州学院高の4番を任され、4月末の九州大会で初打席でタイムリーを放つと、5月に行なわれた早稲田実との練習試合では清宮幸太郎(日本ハム1位)に見せつけるかのような特大の高校1号を放ち、清宮の高校第4号を誘発する。この東西怪物によるアーチ合戦が話題を呼んだことから村上は「肥後のベーブ・ルース」という異名を戴き、1年夏に出場した甲子園でも特集番組で取り上げられるなど大きな注目を集める存在となったのだった。
 ところが、村上は2年前のその甲子園を最後に、表舞台から姿を消した。鍛治舍巧監督率いる秀岳館高が瞬く間に全国屈指の強豪に登り詰めていった。その一方で、村上は完全に熊本の主役を奪われてしまうのである。
 2年夏の決勝は九鬼隆平(ソフトバンク)、松尾大河(DeNA)らを擁する秀岳館高に力負け。3年夏も秀岳館高の田浦文丸(ソフトバンク5位)、川端健斗の2枚看板に抑えられ、またもや決勝で涙を吞んだ。村上の入学後、熊本県内の公式戦3大大会(春夏秋)で5敗したうちの4敗が秀岳館高に喫したものだった。今夏まで4季連続で甲子園に出場し、今春のセンバツまで3季連続ベスト4入りを果たした秀岳館高は、まさに「目の上のたんこぶ」だった。
「正直、どうして自分の高校3年間がこの代にハマってしまったのだろうと思っていました」

捕手へのコンバート

 熊本東シニアに所属した中学時代には、九州選抜に名を連ねたこともある。長崎シニアの増田珠(横浜高→ソフトバンク3位)、熊本北シニアの西浦颯大(明徳義塾高→オリックス6位)ら豪華な顔ぶれが並んだがメンバーの中で、強打のポイントゲッターとして3番を任されていたのが村上だった。4番で主将の増田とともに九州打線を牽引し、チーム内では増田に次ぐ高打率を残している。
「みんな甲子園で大活躍しましたからね。自分はたった1回の出場で無安打です。増田や西浦、何かと比較された清宮との勝負は、熊本で秀岳館を倒して甲子園に行ってからだと思っています」
 こう語っていたのは、高校2年のシーズンが終了して間もない頃だった。この時点で村上は32本塁打で「何かと比較された」清宮は倍以上の78本塁打(当時)を記録していた。大きく水を開けられてしまったことについては「キャッチャーとしてやるべきことを第一に考えているので、本数はそれほど気にしていません」と言い放っている。
 高校1年の甲子園の後、村上は捕手に転向した。中学時代に捕手の経験はあるが、中学と高校では投手のレベルがまったく違う。ストレートのスピード、変化球のキレ。これらに対してしっかりと音を立てて捕球することに苦労したと村上は語っていた。
 ここで参考としたのが、他でもないライバルである秀岳館高の司令塔・九鬼だった。試合前にチェックする映像や試合中のベンチから、九鬼の捕球姿勢、配球、間の取り方をじっくりと観察し続けていたのだという。
「一流のキャッチャーが身近にいるのだから、見ない手はない。感じることはたくさんありましたよ。一番はチームの大黒柱としての、存在感の大きさですよね。九鬼さんはどちらかというとピッチャーのよさを引き出すタイプのキャッチャー。だからピッチャーが安心しきっているんです。やっぱりすごいキャッチャーでした」

もう一人の捕手コーチ

 捕球技術を上げるべく、村上は股関節の柔軟性を高めた。コーチ役を買って出てくれたのは、九州学院高OBで捕手として3度の甲子園出場がある坂井宏志朗氏(現佐久長聖高コーチ)だった。坂井氏は高校を卒業後、亜細亜大でプレーしていたが、休暇で帰省するたびにつきっきりで後輩捕手の指導にあたった。ちなみに坂井氏の父・宏安氏が九州学院高の監督である。
「股関節まわりを柔らかくすることで捕手スキル全体が向上しました。送球も安定感が増してシュート回転が少なくなったし、何よりも変化球に対する捕球ミスが少なくなってきましたね。追い込んでからも『どんとこい!』という気持ちでワンバウンドの変化球を要求できようになってきたので」
 3年春の試合解禁を迎えると、冬に取り組んだ捕手練習の成果はあらゆるところで表面化した。
 送球、捕球面はもちろん、試合中は以前にも増して投手に歩み寄り、声を掛ける姿が目につくようになった。かわす配球から投手の特徴を引き出す強気のリードに変化してきたようにも感じた。守備面を課題と見ていたスカウト陣からも「キャッチャーとしての守備力が向上している」という声が聞かれるようになったのも、ちょうどこの頃だった。

完敗した最後の夏

 最後の夏も熊本大会決勝に進出した村上と九州学院高。しかし、先述の通り秀岳館高に1対3で競り負け、最後まで宿命のライバルを打倒することは叶わなかった。
 3番・捕手としてこの試合に臨んだ村上は、初回に放った内野安打一本に終わり4打数1安打、3三振に終わった。先発の川端からは2三振。2打席目は138キロのキレのいいストレートで追い込まれ、最後はスライダーを振らされての空振り三振。3打席目はストレートに振り負けての空振り三振。高校生活最後の打席となった8回は田浦と対戦し、初球142キロのストレートをファウルとしたが、ストライクゾーンにきた2、3球目の変化球に手が出ず、見逃し三振に終わった。
 九鬼の時代は浅いカウントからの内角ストレートを詰まらされ(振らされ)、フライを打ち上げることが多かった。そのイメージが残っていたのかもしれない。村上は内角ストレートへの意識が強く、逃げるスライダーへの意識が散漫になったか。それとも単純に川端、田浦が投げるスライダーのキレが上回ったか。外の変化に対応することはできなかった。
「自分が決めていればという場面は何度かありました(初回の1死一塁、5回の2死一、三塁)。そこを逃したのは明らかに実力不足以外の何物でもない。完敗です。相手が上でした」
 結果的に村上のバットが秀岳館高を粉砕することは叶わなかったが、1年秋から始まった秀岳館高を倒すために磨き続けた打棒が、高校水準をはるかに凌ぐレベルに達していたのも事実。
「もともとミートの技術には長けています。ここへきて柔らかさが備わってきました」
 こう村上を評価する坂井監督。実に九州学院高の打者らしいコンパクトな振り出しからの、大きなフォローも特徴的だ。また、ペッパー感覚で確実にとらえる視点も並の打者以上だという。打球は引っ張りよりもセンター方向が多い。これこそが村上の好調時を知るバロメーターとなっているのだが、2年秋以降に放った本塁打を含む長打の多くがセンター中心に飛距離を稼いでいる。
 1年春の早稲田実戦も左中間、1年夏の初打席に放った満塁弾もバックスクリーン。打球がこの方向の最深部に飛んでいる時は、ちょっと手がつけられない。

真のライバルへ……

 ドラフトでは巨人、楽天が競合。1位の当たりクジはヤクルトの小川淳司監督が引き当てた。
「上位で指名されたらいいな、と思ってはいましたが、1位指名はまったく想定していませんでした」
 小川監督は、近年は球団の編成部門で活動していたため、村上の能力については知り尽くしている。当日の会場で語った村上評は次の通りだ。
「清宮を外したら次は村上でいくと決めていました。守りよりも打撃を高く評価しての1位指名。遠くに飛ばす力は清宮にも引けを取っていない。将来は球界のクリーンアップを打つことができる。それほどのバッターです」
 打者として高い評価を下したヤクルトだが、クジを外した巨人が2、3位で社会人捕手を指名していることから、捕手としての評価も非常に高かったに違いない。
 会見では入学後から「ライバル」と騒がれた清宮や、同じ捕手で1位指名を受けた甲子園6本塁打の中村、同じ左の長距離砲・安田尚憲(履正社高→ロッテ1位)ら同年代の選手について聞かれることも多かった。冷静かつ無難に記者からの質問に答える村上だったが、ドラフト前の取材では正直に胸の内を明かしてくれている。
「今は向こうの方が明らかに上です。清宮や増田、安田、西浦らは甲子園という結果を残していますからね。その点、自分は実力不足でたったの一度しか甲子園に辿りつけていません。いつかは清宮と本当のライバルと言われるだけの存在になりたいし、将来的には数字で清宮に勝ってタイトルを獲りたいです。結果で自分が上位だということを証明したいんですよ」
 小川監督はその後、「サードや外野にも挑戦させたい」と発言した。村上自身が秋から外野守備を始めたことも、今回の高評価につながったという話もある。
 しかし、パワーとスピード、そして高い守備力。今までプロ野球の世界ではあまり見ることができなかったニュータイプの捕手像に精いっぱい挑戦してほしいとも思う。次から次に現れる最高のライバルの存在を糧として、村上は神宮の杜から黄金世代の主役に躍り出るつもりだ。

★(当時の)プロフィール★
村上 宗隆(むらかみ・むねたか)

身長187cm/体重95kg/右投左打
2000年2月2日生まれ/熊本県熊本市出身/捕手
中学 熊本東シニア
高校 九州学院高

★ターニングポイント・九州学院高★
 やはり捕手に転向した1年秋が自身の人生を変えた大きな転機だ。転向後は高校レベルの投手を相手に苦労するも「長打の打てる捕手」という称号を手にしたことがプロ球界に対する一番のセールスポイントとなった。

★こんな選手★
 1年夏の甲子園に出場し、「肥後のベーブ・ルース」として注目を集めたスラッガー。なんといっても特筆すべきは高校通算52本塁打を記録した長打力だが、50メートル走6秒1の俊足と二塁送球1秒84の強肩も大きな魅力。

★プロでこんな選手に★
新時代の捕手像を確立せよ
 左の大砲で攻撃的捕手といえば、やはり阿部慎之助(巨人)と同系譜。さらに村上の場合は「足」も期待できる。広島1位指名の中村奨成(広陵高)とともに総合力に優れた新時代の捕手として、その地位を確固たるものとしたい。

★ここを売り込め!★
飛距離で度肝を抜け!
 春季キャンプの打撃練習では、高卒ルーキーとは思えぬ飛距離でまずは首脳陣やライバルの度肝を抜きたい。「飛ばせる」ことが証明できれば、現場としてもその後の育成イメージをつかみやすい。まずは「打」で頭角を現せ。

(取材・文=加来慶祐)
『野球太郎No.025 2017ドラフト総決算&2018大展望号』で初出掲載した記事です。