見出し画像

【WBC・侍ジャパンメンバーのあの頃】NPB最強左腕! 10回の腕立て伏せができなかった高校生・今永昇太がドラフト指名されるまで

WBCことワールド・ベースボール・クラシックで日本一に輝いた侍ジャパン。世の中も大いに盛り上がり、触発されて野球熱が再加熱した方もいたことでしょう。
これから侍ジャパンの選手をNPBの試合で見たり、一球速報を追ったりする際に、アマ時代など選手のバックボーンを知っていると、よりおもしろく、より選手に愛着を持てるはず!
ということで、そんな選手の背景がわかる『野球太郎』の過去記事を公開します。

今回は今永昇太(DeNA)をご紹介。侍ジャパン強化試合やWBCの大会序盤はリリーフ登板でキレキレのボールを投じ、得た信頼感から決勝戦の先発を任されました。
『野球太郎No.017 2015ドラフト総決算&2016大展望号』で掲載した記事を用いて、プロ入りまでを紹介します。
(取材・文=高木遊)

現役最多18勝をあげた東都大学リーグのエース


ムードメーカー

 ドラフト会議当日。DeNAからの1位指名を受けた後の会見には、多くの報道陣が集まった。
 質疑応答の際、「もし、ラミレス監督からファンサービスを求められた場合、不安はありますか?」という質問が飛んだ。すると、今永は「パフォーマンスに関しては……自信があるので、鍛えていきたいと思います」と返し、場内の爆笑を誘った。
 また、その後のフォトセッションでは、カメラマンから「何かパフォーマンスをお願いします」とのリクエストが飛ぶと、今永は即座に機転を利かせ、ラミレス監督が現役時代にパフォーマンスしていた「ゲッツ」のギャグを披露。当日夜のスポーツニュースや、翌日のスポーツ紙には、その姿が大きく報じられた。
 野球面のみを見ていれば、真面目そのものの印象を抱かれがちだが、もともとは、オンとオフの区別をはっきりとつけられる性格の持ち主だ。
 グラウンドでは自他ともに認める「負けず嫌い」で黙々と練習を積み重ね、試合では感情の起伏を見せず、強気な投球で仲間を鼓舞する。そして試合後には、記者からの一つひとつの質問を最後まで聞き、しっかりと、聡明に答えていく。
 一方で、週30番組を録画するほどのテレビっ子でお笑い好きの一面もあり、グラウンドを離れれば周囲を笑わせるムードメーカーの一面もある。
 だが、今秋はリーグ戦が深まっていくにつれ、悲壮感の漂う言動が多くなっていた。

普通の野球少年が急成長

 体育と音楽の中学教諭だった両親の間で、福岡県北九州市に生まれた。
 生誕時の体重は2500グラムにも満たず(男児の平均は約3000グラム)、大きく育ってほしいという想いから「太」という文字が名前に入れられたという。
 その後は、小学校時代にソフトボール、中学時代に軟式野球をプレーするも、際立った実績はなかった。相変わらず体も小さかったため、野球強豪校からの誘いなどはなく、近隣の進学校である北筑高校に進学した。
 入学当初は、腕立て伏せが10回もできない平凡な野球少年だったが、小学校時代から授業と部活の練習双方でほぼ皆勤を続けていた今永は、コツコツと地道な練習に日々励んだ。
 すると2年冬から3年春にかけての数カ月で、なんと球速を10キロも上げた。一躍「速球派左腕」として県内の高校野球関係者はもとより、プロ球団のスカウトにまで注目される存在となった。
 さらなるレベルアップを目指して入学した駒澤大では、大学1年春から登板機会をつかむ。
 大学2年春からはエースとなり、積み上げた東都大学リーグ通算勝利「18」は現役最多の数字だ(2015年当時)。
 昨秋には7勝、シーズン歴代5位の89三振を奪い、個人賞3冠(最高殊勲選手・最優秀投手・ベストナイン)に輝いた。
 続く明治神宮大会でも14回を投げて自責点1という好投で日本一に導き、古豪・駒澤大に復活をもたらした。

悩み抜いた志望届提出

 しかし、名実ともに「大学ナンバーワン左腕」として、さらなる活躍が期待された今年はリーグ戦未勝利に終わる。
 3月の投球中に、左肩の腱板を構成する筋肉のひとつである棘下筋の肉離れをおこしてしまい、その症状が長引いたのだ。
 それでも今永は「ケガをしたことは、自分にとっても、チームにとってもマイナスでしたが、それをマイナスのまま、終わらせたくはありませんでした。ケガをする前よりも、もっと強靭な体を作ろうと思ってやってきました」と話し、復帰や復活ではなく、「進化」を求めて秋に備えた。
 だが、現実は厳しかった。オープン戦から復帰を果たしたが、昨秋に見せた安定感は消え、要所で痛打を浴びた。リーグが開幕し、神宮球場のマウンドに戻ってからも、勝てない日々が続き、チームは波に乗れず黒星を重ねた。
 周囲が、そして自分が思い描く投球をできないなか、プロ志望届の提出が6日後に迫っていた10月2日の亜細亜大戦で、今永はついに感情を抑えきれなくなる。
 8回、1点ビハインドの1死満塁で救援登板した今永は、先頭打者を詰まらせたものの打球は三遊間を抜け、ダメ押し点を献上してしまう。だが、続く打者を併殺に斬ってとるなど、決して内容の悪い投球内容ではなかった。
 試合後の今永は当然のごとく、報道陣に囲まれていた。
 そこで投げかけられた「監督は今永くんの調子は上がってきていると言っていたけど、自身の感覚はどうですか?」という質問に、今永は「まだ“調子”で野球をしてしまっています」と答えた後、うつむき、言葉が出てこない。
 これまでの取材では、敗戦後でも言葉を丁寧にスラスラと並べる今永だったが、今日はうつむいたまま長い沈黙が流れた。「4年生なのに情けないです」となんとか言葉を絞り出したところ、ついには頬に涙がつたった。ここまで追い詰められた今永を見たのは、大学入学以来初めてだった。4年生としてチームを勝たせられない歯がゆさのなか、自身の将来に関わる大きな決断をしなければいけない。その苦悩がのしかかった。
 この状況を伝え聞いた両親も「人前で悔し涙など見せたことないのに」と大きく驚いたという。
 そして普段はあまりかかってこない電話が数日後に、今永から両親のもとにかかってきた。
 これまでも今永は、「プロは入るだけの場所ではなく、活躍しなければいけない場所」と話しており、ときには「その自信がなければ、社会人でステップを踏むのも考えている」と話すこともあった。
 それはすべてプロを念頭に置いて話していたことであったが、この時期にここまで悩むのは本人にとっても、周囲にとっても、想定していないことだった。
 その後、西村亮監督とは3日連続で話し込んだ。また電話で相談を受けた父・孝司さんは、普段は「野球に関して私たちは素人。監督さんらにお任せしています」というスタンスだが、このときは「生かせるチャンスが目の前にあるのなら、生かした方がよいのではないか」とだけ、アドバイスを送ったという。
 そして、今永は締め切り2日前の10月6日にプロ志望届を提出した。

徐々に本来の今永に

 プロ志望届提出翌日に行われた中央大戦で、今永は5回からマウンドに上がった。味方の失策で勝ち越し点を献上したが、4回2安打6奪三振で、自責点はなしと、吹っ切れた印象を残した。西村監督も「ストレートで押していくのが彼の売り。志望届を提出し“やるしかない”という状況で、彼らしい投球をしてくれました」と一定の評価を与えた。
 翌週の國學院大戦でも5回から中継ぎ登板し、4回2安打無四球無失点で抑えた今永は、チームの最下位が確定したこともあり、ここから入替戦に向けての調整に入った。
 その間には前述のドラフト会議も終わり、彼本来の明るい笑顔も戻って、「モヤモヤがひとつ晴れた」と話した。一方で「大学4年間で最も苦しかった時」を尋ねられると、「いまかもしれません」と即座に答えた。
 だが、その表情は3週間前に見せたうつむいての涙ではなく、決戦に向け、自らを奮い立たせているような凛々しいものだった。
 こうして迎えた入替戦の初戦。今季不調に陥った打線と対戦相手・東洋大のエースである原樹理の力量を考えれば、1点が重くのしかかる試合になることは、試合前から誰の目にも明白だった。
 重圧のかかるマウンドで、今永は躍動した。
 初回に先頭打者から145キロのストレートで空振り三振を奪うと、その後も球持ちのいいストレートを軸にした投球で東洋大打線を寄せ付けない投球を見せる。
 チームも8回にスクイズで虎の子の1点を奪うと、今永はそのまま3安打完封。奪った三振は、復帰後最多となる12個。四死球もわずかに2つで、「これでは勝機がない」と漏らす東洋大OBがいたほどの完璧な投球を見せた。
 今永獲得を担当したDeNAの武居邦生スカウトも「ケガが治ればこれくらいの投球はできると思っていましたが、ひと安心です」と笑顔を見せて、球場を去った。

悔しさを胸に憧れの舞台へ

 チームが2回戦に敗れ、3回戦で再び原と相まみえたが、結果は無情にも原に軍配が上がった。
 今永は入替戦に向け、投げ込みと走り込みを十分にしてきたつもりではあったが、久々となった実戦での、短い間隔の登板では本来のキレは鳴りを潜め、甘く入った投球をことごとく東洋大打線に弾き返された。5回1/3を投げ、被安打11、大学入学後の自己ワーストとなる9点を失い、マウンドを降りた。
 試合後、号泣する原とは対照的に、今永は毅然とした態度で、学生生活最後となる、試合後の囲み取材に現れた。
「いち選手として、1回戦から修正してきた東洋大を上回ることができませんでした。後輩に何も残すことができず、申し訳ない思いでいっぱいです」
 悔しさを押し殺して潔く敗戦の弁を語り、最後はいつもと同じようにハッキリとした口調で前を向き、「ありがとうございました」と頭を下げ、チームバスに乗り込んでいった。
「プロ野球選手になるなんて思いもしなかった」と両親が語るように、高校の途中までは、ごく普通の左腕。たくさんの敗戦を重ねたが、涙は人前で見せず、悔しさを糧にたくましくなっていった。
 昨年は敗戦することが、もの珍しい投手にまで成長したが、今年は再び敗戦の怖さ、悔しさを感じた1年だっただろう。
 この苦難の1年が、プロでのジャンプアップに必要な深い踏み込みの時期だったと思えるような活躍を期待したい。そして、それを実現できるだけの素質は、身体にも心にも宿っている。

★(当時の)プロフィール★
今永 昇太(いまなが・しょうた)

身長:178cm /体重:80kg /左投左打
1993年9月1日生まれ/福岡県北九州市出身/投手

中学 永犬丸中
高校 北筑高
大学 駒澤大

★ターニングポイント・北筑高★
 高校2年の冬に取り組んだ肩甲骨周りのトレーニングで肩の可動域を広がり、丸太や鉄棒、タイヤを使ったトレーニングで筋力がついた結果、3年春に球速が急上昇。プロ注目の左腕となり、名門・駒澤大への進学が決まった。

★こんな選手★
 進学校の3年時から注目を集め、大学では1年春から登板機会を得ると、2年春からはエースに。東都大学リーグ通算18勝は現役最多で、3年秋にはリーグ個人賞3冠。明治神宮大会でも好投し26季ぶりの日本一に導いた。

★プロでこんな選手に★
「チームの顔」の投手

 最速148キロのストレートにスライダー、チェンジアップ、カーブを制球よく織り交ぜ、杉内俊哉(巨人)のような「キレ」で勝負できる投手。代名詞的なウィニングショットを作り、最多勝、そして「チームの顔」を目指す。

★ここを売り込め!★
ストレートのキレが軸

 好調時の球持ちのよさは抜群で、ストレートは140キロ前後の球速でもキレで空振りを奪え、スライダーやチェンジアップの脅威が増す要因となっている。また要所での力の入れ方や冷静さは、学生球界では頭ひとつ抜けていた。

(取材・文=高木遊)
『野球太郎No.017 2015ドラフト総決算&2016大展望号』で初出掲載した記事です。