【WBC・侍ジャパンメンバーのあの頃】2年連続防御率1点台+200奪三振超! 国内敵なし状態の山本由伸が背番号5だった時
WBCことワールド・ベースボール・クラシックで日本一に輝いた侍ジャパン。世の中も大いに盛り上がり、触発されて野球熱が再加熱した方もいたことでしょう。
これから侍ジャパンの選手をNPBの試合で見たり、一球速報を追ったりする際に、アマ時代など選手のバックボーンを知っていると、よりおもしろく、より選手に愛着を持てるはず!
ということで、そんな選手の背景がわかる『野球太郎』の過去記事を公開します。
今回は山本由伸(オリックス)をご紹介。準決勝・メキシコ戦では3点差を追いつく機運を作ったピッチングでも目立ちましたね。キャンプがはじまったばかりの頃は、ピッチングフォームをこんなに変えて?? といった声も杞憂に終わる〈NPBの大エース〉らしい活躍でした!
『別冊野球太郎ドラフト答え合わせ1998-2022〈増補改訂・完全保存版〉』で掲載したコラムから、高校時代の一コマを紹介します。
(文=山田次郎)
偶然見かけた背番号5の正体は
2014年11月16日、久峰総合公園野球場で宮崎県選抜と佐土原高の壮行試合があると聞きつけ、別の選手を目当てに見に行った時のことだ。聞いていた時刻よりもずいぶん早く到着すると、すでに試合が始まっているような雰囲気があった。えっ? 時間を間違えたか……慌ててスタンドに入ると、すでに試合は3回表。どうやら目当ての試合前に一年生大会の決勝が行われていたようだ。
マウンドに目を移すと、都城高のユニフォームを纏った背番号5の華奢な右腕が投げていた。凄みこそ感じなかったが、いい投げ方をしている。慌ててシャッターを
切った。しかし、その3回に連打を浴びまくり、計9失点を許して降板。その後は三塁のポジションについた。ドラフト候補には到底見えず、どちらかというと内野手として、いずれ県内で注目される選手になればいいな……程度の印象だった。
それからどのくらいの月日が経ったのだろうか。“都城高の山本”という右腕が150キロを投げるらしいという噂を耳にした。まさかと思い、当時のノートを確認すると、山本由と書いてある。そう、いまや球界を代表する山本由伸(オリックス)のことだ。すぐさま、その進化した姿を見るべく宮崎県を再訪すると、まさにドラフト候補に相応しい投手になっていた。そこからトントン拍子でプロ入り。あらためて振り返ってみると、初見の山本は16歳3カ月だった。成長の時期や幅に個人差はあるものの、この年頃からの劇的進化には本当に驚かされた。
(文=山田次郎)
こちらは『別冊野球太郎ドラフト答え合わせ1998-2022〈増補改訂・完全保存版〉』で初出掲載した記事です。