春の凍結祭り。

先日、Twitterがまあどえらいことになった。
見知ったアカウントが軒並み突然の凍結を食らい、タイムラインは人狼ゲームでどれだけの村人が食われたんだというレベルで朝になったら人が減っていた。
私も食われた村人側、もとい凍結を食らった側である。
なんなら、今も凍結されている。
一応、数日だけシャバに出られたのだが、「設定とか整えておかないと危ないよなあ」と整えたタイミングで再び凍結された。解せぬ。
こちとら善行をしようとしたのにこれである。

やれ凍結されただの解除されただの一喜一憂している一方で、得体の知れないスパム系や非常にどうでもいいお色気お姉さんを装ったアカウントは生きていたりするので、如何ともしがたい。

Twitterを情報収集やコミュニケーションツール、また様々な宣伝に使っている人は多い。
私もそこまで活発に活動しているわけではないが、まあ何かするときはTwitterに投げるし、Twitterで繋がりを得た人というのも少なくない。
それがアカウント凍結ということで何にも出来ない、読み取りと異議申し立てをするだけの場になってしまった。

まあ、正直スマホがない環境で生活出来るかと言われれば出来なくはない。
なんなら二ヶ月ほどそうやって過ごしたことがある。
入院先がスマホから何から、非常に持ち込まれるものに厳しい場所だったからだ。
見舞いに来た友人がボディチェックを受けるレベルなので、ある程度お察しいただけると思う。
無いなら無いで諦めはつくもので、ソシャゲのイベントやログインボーナスなど思うところはまあまああったが、そもそも手元に置けない状況になるので「まあいいか」と思うわけだ。

で、今回の凍結祭りでもいよいよ「怒りを越えて無」になってきた。
元々怒りが長続きしない性質だ。
怒りが別のものに変化をすることもあるにはあるが、基本的に「面倒だな」と思えばそこで感情が終わる。
実際は友人知人と連絡が取れずわりと困っているのだが、「なんで凍結解除されないんだ」という怒りというより「どうせ異議申し立ても見てねえんだろ」という諦めと投げやりで異議申し立てをやっている。
実際送られてきたメールに返信してもサーバーがパンクしているのか未送信で帰ってくるのだから、やさぐれてくるのはある程度仕方ないと思って欲しい。

今回の凍結祭りで、人によっては避難先も様々用意している。
私も幾つか用意はしたが、使いこなしているかと問われるとまた別だったりするし、使用方法が違えば使う理由もない。
いっそのことスマホ依存対策のアプリを入れてみた。学生さんたちが勉強する時に使うようなやつだ。
そもそものスマホとの関わりを再確認してみようかという試みである。
デジタルに囲まれ過ぎているのも面白くない。
とはいえ、この投げやり感はある程度オブラートに包んでおかないと私の性格と口の悪さだけシャバに出っぱなしになってしまう。
なので、早めにどうにかしてもらいたい。
油断すると悪態をつきそうな自我を抑え込むのも面倒なのだ。

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