#山尾三省の詩を歩く 第13回
平成10年、長野県松本市浅間温泉にある神宮寺に広島の原爆の残り火が分燈されました。「劫火」は当時の住職であった高橋卓志和尚から、その火の傍に置く詩を書いてもらいたいと依頼があり書いたものです。
死を目前にして書いた「三つの遺言(東京神田川の水を飲める水にしてほしい。九条を世界の九条にしてほしい。原発を止めてほしい)」に通じる、三省さんの願いであり、祈りでもあります。
昨年2月に始まったロシアのウクライナ侵攻は世界中の人々に驚愕と恐怖を与え、今なお戦闘が終わる兆しは見えません。それは衝撃的な事件であり、私達は慌てふためきました。
しかし、世界に戦争がなかった時代はなく、人々はどこかで常に戦火に晒されてきました。内戦や紛争は後を絶たず、いつもどこかに泣き苦しんでいる人々がいます。世界中いたるところで。
太平洋戦争は多くの犠牲者を生み、その悲しみ苦しみのもとに憲法九条は生まれました。78年間、曲がりなりにも平和な日本国であることができたのは九条があったからでしょう。もう二度と戦争を起こしてはならないという悲痛な人々の思いが私達を守ってきたと言えると思います。九条がなければ、アメリカの属国としてアメリカが加担した戦争に巻き込まれていただろうことは容易に想像できます。
三省さんが亡くなってから22年。世界の状況は大きく変わってきています。「新しい戦前」という言葉が飛び交う状況です。
そんな状況だからこそ、もう一度、三省さんのこの詩を読みたいと思うのです。
「日本国憲法第九条が世界のすべての国の第九条になる」という理想を実現したいと思っている一人として。
もうすぐ5月3日憲法記念日が来ます。
最近「九条を守りたい」などというと「他国に侵攻されたらどうするんだ」と反論されそうで大きな声では言えないような雰囲気を感じるようになりました。
でも、理想主義だの平和ボケ(平和ボケ…なんとすばらしいではないですか!)だのと言われようが、言い続けなければならないと思っています。
先日、亡くなった坂本龍一さんは「いつから言いたいことが言えない日本になったのか」と言っていました。次々に亡くなっていく九条を守りたいと思ってきた人々の想いを受けて、私達は言い続けなければならない。
三省さんは多くの人々の思いが同じになり重なっていった時に神話ができていくと言いました。戦後、おなかいっぱい食べたいという多くの人々の思いが経済神話を形作っていきました。そうであるならば、平和でありたいと 多くの人が心の底からから願えば、「世界平和」という神話は必ず作られていくはずなのです。
この世に遺された私達がその願いを持ち続けたいと思うのです。
この詩は、「南無浄瑠璃光」で始まる「祈り」という詩の番外編と言えるでしょう。
「祈り『五月の風』(野草社)」は海、山、川、樹、風などの自然そのものが薬師如来(衆生の病苦を救う如来)であり、そしてその薬師如来への祈りとして書かれています。現代に病む私達に本当の癒しをもたらすものは、私達が壊してきた海や山や川などの自然なのだと思います。ぜひ併せて読んでいただきたいです。
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山尾 春美(やまお はるみ)
1956年山形県生まれ。1979年神奈川県の特別支援学校に勤務。子ども達と10年間遊ぶ。1989年山尾三省と結婚、屋久島へ移住。雨の多さに驚きつつ、自然生活を営み、3人の子どもを育てる。2000年から2016年まで屋久島の特別支援学校訪問教育を担当、同時に「屋久の子文庫」を再開し、子ども達に選りすぐりの本を手渡すことに携わる。2001年の三省の死後、エッセイや短歌などに取り組む。三省との共著に『森の時間海の時間』『屋久島だより』(無明舎出版)がある。