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#山尾三省の詩を歩く 4月

  高校入学式
                     
    島は 山桜の花が 満開である
    
    教師たちよ
    この百十八名の新入生達の魂を
    あなた達の「教育」の犠牲にするな
    「望まれる社会人」に 育て上げるな
    破滅に向かう文明社会の
    歯車ともリーダーともするな
    教師たちよ
    再び島に帰らぬ「都会人」を育てるな
    第三世界を侵蝕する「国際人」を作るな
    教師たちよ
    この百十八名の新入生達の 胸の奥に
    山桜の花よりも静かに震えている 魂の光があることを
    必死に凝視(みつ)めよ
    あなたの職業の全力を投じて
    それを 必死に凝視めよ

    島は今 山桜の花が満開である
                   山尾三省『五月の風』(野草社)

屋久島の桜は山桜である。
3月半ば過ぎから4月初旬にかけて、普段は気にもかけない山にたくさんの山桜が咲く。山桜の花は本土で見るソメイヨシノの息を飲むような華やかさはないが、芽吹き始めた照葉樹の間に点在して素朴な美しさを湛えてやまない。
山桜が咲きだすと、島に別れと出会いの季節が来ていることを意識し始める。全国的な別れと出会いの季節が離島ではよりはっきりと意識されるのは海があるからだろう。交通機関がどれほど整備されても、陸続きと海に隔てられているということは全く違うことだ。島の学校に赴任する教師たちはほとんどが山桜の花の季節に鹿児島から海を越えてやってくる。そして、3~5年の任期を終えて、山桜の花の季節に鹿児島へと海を越えて帰っていく。
この「高校入学式」の詩は、屋久島がまだ世界遺産に登録される前の1989年に作られた。当時の屋久島は、稀有な自然に恵まれていることを日本の中でもあまり認められておらず、島人も自分達の島には何もないと思っている人が多かった。
娘の入学式に出席して書き上げたこの詩は、山尾三省が1977年に屋久島に移住してきた時の気概が12年の間に更に深まっていったことを感じさせる。島には豊かで厳しい自然という宝があり、そこに生きる人々の知恵という宝があり、その中でも純真な光を震わす魂を持った子ども達という宝がある。島暮らしの12年間はその思いを揺るがしがたいものにした。
だからこそ、本土から赴任してくる教師たちに、都会的なセンスはないかもしれないが、子ども達の胸に秘められた素朴な魂の光を「必死で凝視めよ」と訴える。ソメイヨシノのような華やかさはないが、素朴な山桜の花のような魂を山桜のままに大切に育て上げてほしいという切実な願いが伝わってくる。
三省の詩に語尾が否定形と命令形で書かれたものは多くない。珍しく声高に強く訴えかけているのは、島の子ども達が画一的な教育の中で島の風土の中で培った光を失っていくことが悲しかったからであるし、同時に破滅に向かう文明とは違う方向性がこの島にはあることを知ってほしかったからだと思う。
30年以上前に作られた詩であるが、文明はさらに破滅へと進んではいないか…今も伝えられるべき深い教育の真理が謳われている。
…………
山尾 春美(やまお はるみ)

1956年山形県生まれ。1979年神奈川県の特別支援学校に勤務。子ども達と10年間遊ぶ。1989年山尾三省と結婚、屋久島へ移住。雨の多さに驚きつつ、自然生活を営み、3人の子どもを育てる。2000年から2016年まで屋久島の特別支援学校訪問教育を担当、同時に「屋久の子文庫」を再開し、子ども達に選りすぐりの本を手渡すことに携わる。2001年の三省の死後、エッセイや短歌などに取り組む。三省との共著に『森の時間海の時間』『屋久島だより』(無明舎出版)がある。

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