20210724

ふと、夜なのにアイスコーヒーが飲みたくなって、ちょっと家から離れているが500mlのペットボトルが100円の自販機まで行くことにした。昔からそこまでカフェインで眠れなくなるタイプじゃないから大丈夫だろう、なんて考えながら玄関を出て、しばらく歩くと妙な違和感が。何だろう、と思いながら自販機の前に立つと、そこにはマスクをしていない自分の顔。結果的に人とすれ違うことはなかったが、うっかりマスクなしで外出してしまっていたのだった。

この前マスクなしで外出したのはいつだろう。思い返すと、2019年の冬からマスクをしていた。しかし、それは寒い時期に流行するいつものインフルエンザ対策として、だったはず。そこから新型コロナという単語が生活を支配するようになり、春になっても夏になってもマスクは手放せない。緊急事態は繰り返され、今や前代未聞のオリンピック・パラリンピックが始まろうとしている。その間に、私はマスクなしで外出することが恥ずかしく感じられるようになった。これまでの人生で、そんなことを考えたことすらなかったのに。

個人的には、大勢で集まれなくても、夜遅くまで飲めなくても大して影響はない。だが、「ハレ」の日を感じられないのが精神的にじわじわ来ている。新しい病気という大きな「ケ」が日々の全てを支配してしまっていて、それがずっと続いている。たまにでいいから色んなことを忘れられる「ハレ」のイベントができればいいのだが、そんな兆しがないままの約一年半。体の健康はもちろんだが、心の健康もまた大切であることを実感している。

本来ならば、東京オリンピック・パラリンピックが大きな「ハレ」の日になるはずだった。でも、この世界的なイベントすら飲み込まれ、祝祭感を奪われてしまっている。怒りなのか、憤りなのか、悲しみなのか、諦めなのか。色々探してみて、私の感情に一番近い言葉は、「閉塞感」だった。これを突破するための先人たちの知恵が、年に一度のお祭りだったのかもしれない。実際にお祭りに参加するタイプの人間ではないが、やっているなぁと感じれることも大切だったのだ。

開会式の中継を見ながら、次々と紹介される出場国と選手団から行ったことのある国を探していた。が、そう簡単には出てこない。そう、世界には200を越える国と地域があるのだ。ちょっと世界を知っているつもりだった自分が恥ずかしい。今は無理かもしれないが、いつかまた、行ったことのない国へ気軽に足を伸ばせる日が来ることを祈って。そんな「ハレ」の日が来ることを祈って。

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