見出し画像

映像作品を見て思ったことをざっと

一昨日昨日と、VIDEO PARTY 10 に参加し、沢山の映像作品を拝見しました。

それで抽象的なことでおもったことをざっと書きます。

・「これで分かるだろう」というラインを見極めて、それより明確な答えを「見せない」ほうがよくない?
⇒「男性トイレの小便器に並んで『使えない新人』の話をしていた社員二人がトイレを出てフレームアウトした後、その奥に映っていた大便器の個室(ドア閉まってる)にカメラが寄っていきながら、震えた吐息が聞こえてくる」となったら、それだけで「トイレの中の新人が震えている」ということは十分勘づいてもらえるわけで。もちろん個室の中を見せてもいいんだけど、それは「答え合わせ」というだけで別段重要なカットでもないのではないか。。
あとは「バイトの同僚が主人公に『今日どうしたの?さぼっちゃって』とか言って、主人公が『今日シフト入ってましたっけ……?』と同僚に聞いて、聞かれた同僚が「ふふっ」と笑ったりあきれたような顔をした』時点で、観客は「主人公、シフト入ってたのに忘れてたんだな」と思うだろうから、あとに「入ってたよ」なんて言わなくていい、とか。

・言葉(声)で入れるものは映像としても映す必要はあるのか?
⇒とりあえず、いわゆる「ドラマ」に限るが、必要ないと思う。例えば「怒って怒鳴りつけている人」の言葉が入っているなら、怒鳴っている人自身を映しても、それは「怒っている顔」が映し出されるだけで。それよりも「怒鳴られている人」の顔や「それを見ている周囲の人」の表情を映したほうが、イメージが広がるのではないか。

・映像と挿入する言葉の「距離感」
ドキュメンタリーならもちろん、映っているシーンの解説的な言葉も必要だろうけど、実験映像とか、ドラマとかなら、多少乖離していたほうが興味深いものになるのではないか?

・比喩表現
アニメーション作品の比喩表現滅茶苦茶良いものがあって、観られてよかった。小川泉さんの『山火事』、観られるチャンスがあればぜひ。。

・「普通そんなことせーへんやろ」ということをしてしまうドラマ作品
悩んでいることを表そうとして、せっかく作った書類を頭上にまき散らすとか。土足のギャラリーで床にあおむけになるとか。そういうのを見ると個人的には「しらける」のだが、他の人は違うのだろうか。。

・芝居での「変なこと」と、映像編集での「変なこと」
芝居で変なこと(上記の「普通そんなことせーへんやろ」ということなど)は見ているとしらけたのだけど、映像を編集してかけた「エフェクト」などの「変なこと」はしらけないことも多かった。
手振れなのか、妙に映像が震えている(が、それが主人公の心境とリンクする)とか。「そういうものか」と。もちろんジャンルにもよる。

・ストップモーションアニメーションを作っていらっしゃる個人、または団体、予想以上にいてらした
⇒意外だった。そして全部熱意がこもっていて滅茶苦茶好きだったけど、やはり作者さんの話を聞いていると完成まで年単位でかかるらしく、ビビる。
余談だが、飲み会で聞いた話、映画「オオカミの家」は世界各地の美術館で滞在制作(アニメーションを作っている様を観覧者に見てもらう)をして、美術館からお金をもらって旅して作ったと聞いた(根拠は見つからなかった。。検索しても作品のカルト性や元ネタのページしか出てこないから、パンフにしか書いてない話なのかもしれない。。)。頭良いけどそれはそれでタフな作業だ。。セットも機材もあらゆるものを運ばなければならない。。

・いっそぶっとんだものをしていたら多少の「なんでやねん」も「ふつうそんなことせーへんやろ」も気にならなかった。
⇒『納豆ファンク』、滅茶苦茶おもしろかった。笑った。

・ワンカットがあまりに短くて高速に移動していくと頭が痛くなる
⇒というか追いついていくのに必死でなんかイラついてきてしまった。個人的な話。

・道端や職場などの公共空間でやってたら「ふつうそんなことせーへんやろ」となる仕草も、家の中などのプライベートな空間でパートナーなどの親しい人にのみ見せていたら普通に成立していた。
⇒まあそういうものではあるが、盲点というか目からうろこだった。

・アングルが工夫されている作品はより面白くなる


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?