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欲しいものを得るために
やくさひろです。
現在私は社会人&鍼灸師になるための学校に通っている2年生です。昨年春に入学し数日後、緊急事態宣言が発令されました。その後確か2カ月ほど自宅待機だったような。その後zoomにて6倍速授業がはじまり何だかんだ激動の1年目を迎えました。
そして2年生。別の鍼灸学校に編入をさせていただき楽しく充実した日々を送っていますが、大学生の頃にはわからなかった学びの深さを実感しています。
高校生、大学生の頃の私にとっての学びの意義は、ただ単位を取得することだけでした。しかし大人になり学ぶということは欲しいものを得るため、やりたいことを叶えるために学ぶという根底にある意識と決意の違いがあります。
何の苦労もなく得られるものはないと長年の社会生活の中で学びとったからこそ、今の学生生活の3年間が余計に濃密に感じるのでしょう。
今のこの学びがこの先の人生でどのように変化するのかもわからないし、元も子もない言い方ですがお金になるのかもわからない。
ただそんなことを考えると、ただただ勉強と記憶作業のしんどさに心が折れてしまいそうになるので、深く考えず。
知らないことを学ぶことは楽しくもあり興味深くもあり、大変であり逃げ出したくなる時がある、というのが本音です。
昨年1年間は私にとってまさに暗黒時代の学生生活でした。何が何だかわからない、授業についていけない、スピ―ドがはやい、何よりも社会人との両立ができない、もはや実利に繋がらなくてもいいから卒業だけはしよう!と妙に割り切ったり、とことんまで自分を追い詰めた一年でした。
おかげで今年2年目は、それなりに充実した心の余裕をもてた学生生活を送れています。
これも全てクラスメイトと先生方の関わりから影響を受けています。
クラスメイトは皆様々な経験をしており、私の知らない経験を無数に体験しています。今の学校に入学するまで社会生活においても大いなるプレッシャーを感じたり社会的にも息苦しさを感じていた私ですが、学びにおいての考え方が変化したのは今の環境のおかげ。
とても贅沢な経験ができていると感謝しています。
ロウソクの灯のようなゆらりゆらりと揺れ動く私を、「わかるわかる。だよね!」とひたすら同調をしてくれる仲間、友人。いかに大変か、と力説する私に同調してくれるだけですこぶる機嫌がよくなる私。
何のために鍼灸師になりたいと思い入学をしたのか、学生生活を送ればおくるほどその理由は不確かなものになりぼんやりとした姿になってきたのです。
自分の好きや興味を育てられるとおもっていたのに、想定以上の現実にぶちあたり「そういえば私って将来どうするなろう」とクラスメイトに何気に相談をしてみたり、これでいいのだろうかと迷いながらも一歩一歩進んでいる状態です。
社会生活を長く営んできたせいか、夢とか目標より、より現実を求めてしまう私がいます。
欲しいものを得るために鍼灸師を目指した
とサクっと言ってしまった方が私らしいのかもしれません。
私にとっての欲しい物は、お金やモノではなく体験なのです。鍼灸師になり、その資格と技術でどれだけの人にどのような施術ができるのだろう、鍼灸師として施術する以外に例えば大学院にいくとかそういった研究の道もある、とか今の私の支えは「どんな経験ができるのか」を模索することなのです。
今の私は誰かのためにではなく、自分のために。
欲求の本質を自分で認めること。
いつか欲しいものをえることができたら、きっと次は与えることの喜びや充足感に繋がっていくのでしょう。
今現在のお仕事、手のお手入れメソッドもそう。お手入れで自分を労わること、結果人を幸せにしていくことができるという考え方と実践。
自分の人生をわがままに思いっきり甘やかして生きることしかできない私は残りの1年半でどのような思考に変化していくのでしょう。
やくさひろです。 記事が広くシェアされ、手のお手入れを通して誰かの幸せに繋がることを願っています。 いただいたご支援は活動費として使用させていただきます♡