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2019年11月の記事一覧
植物図鑑としてのInstagram
この1年、手元に来た本や雑誌の写真をインスタグラムに投稿する、ということを続けてみた。
新刊も旧刊も関係なく、ともかく手にした本を撮影して、書誌を書いて投稿する。言ってしまえば、それだけだ。
とはいえ、私のような不精者には、これでも結構メンドウで、仕事に気をとられていると、未撮影・未投稿の本が山となってしまう。あるいは、投稿する前にどこかに紛れていってしまう。
もちろん誰に頼まれるでもなく勝
引越前の家でごそごそしていたら
昨日は文学フリマに立ち寄って、夜中にそのことをnoteに書いた。
のだったが、運悪くnoteの引っ越し(ドメイン変更)の最中だったようで、テキストは保存されず、電子のもくずとなった。よい子ならそんなことをせず寝ている時間帯に起きていたのがあかんかったといまは反省している。
恨み言を書こうというのではない。noteは優秀なサーヴィスで不満はないし、昨晩の出来事にしても、予告されていたのを忘れて、
ガンジス川のほとりで
なにか思いついて、twitterやFacebookに投稿しようと思い立つ。
(使っている道具次第で、しようと感じることが方向づけられる好例である)
そこで、TwitterなりFacebookなりにアクセスして文章を書く。
多くの場合、書いたところで「ああ、投稿しなくていいな」と思って削除する。言葉として自分の外に出してみたものの、人に見せなくてもいいかと気が変わるわけである。頻度としては10回
ゆらゆらさせてくれないか
ブルーノ・ムナーリに「座り心地のよくないイスで心地よさを探す」という文章と写真がある。1944年に『Domus』という雑誌に掲載されたもので、どこかでご覧になったことがあるかもしれない。
そこでムナーリさんは(と、ついさんづけをしたくなる)、一脚のソファを相手どり、いろいろな角度から心地よい座り方――というかもはや座っているのかどうかも分からない状態もあるのだがこう呼んでおく――を探っているのだ
人の間違いを見つけたら
人の間違いを見つけたと思ったら、まずは自分を疑え。
というのは、長年コンピュータでプログラムを書くことによって身についた習慣である。なぜそうなるのか。
プログラムとはコンピュータに対する命令のこと。例えば、コンピュータに時計を表示させるプログラムを作ろうと思ったら、時計のような画像を用意して、これを画面に表示する。そうしておいて、時間が経つごとに、つまり時間を然るべきやり方で計測して、画面に表
可能な限り全部見ていく
今度、ゲンロンカフェのイヴェントで、安田登さん、ドミニク・チェンさんと3人で話す予定である。タイトルは「能、テクノロジー、人文知」という。
このちょっと不思議なタイトルは、おそらく安田さん(能)、ドミニクさん(テクノロジー)、山本(人文知)という対応を並べたものだと思う。とはいえ、安田さんとドミニクさんは、どちらもテクノロジーと人文知にも通じているので、1対1に対応しているわけではない。
それ
誰が心を知っているのか
古来、人間の心や精神と呼ばれてきたものがある。
ものがあるもなにも、こうして文章を書いている私も、自分には心があると思っているし、きっとあなたもそうだろう。
そして、これまた古来、心や精神と呼ばれてきたものについて、その働きを分類しようと試みた人たちがいた。
例えば、知性とか情動とか意欲とか、理性とか悟性とか感性とか、意識とか無意識とか、欲望とか欲動とか。論者の数だけ分類がある、といったら大