ガンジス川のほとりで
なにか思いついて、twitterやFacebookに投稿しようと思い立つ。
(使っている道具次第で、しようと感じることが方向づけられる好例である)
そこで、TwitterなりFacebookなりにアクセスして文章を書く。
多くの場合、書いたところで「ああ、投稿しなくていいな」と思って削除する。言葉として自分の外に出してみたものの、人に見せなくてもいいかと気が変わるわけである。頻度としては10回に7回くらいは削除しているだろうか。
(そのわりに、どうでもいい投稿が多いじゃないかというご意見には心から同意したい)
他方で、つい何かを言いたくなるという話題もあって、SNSのようにいろいろな人のいろいろな意見がガンジス川のように流れていく場所を眺めていると、記憶のあちこちを刺激されて、「ああ、そのことなら…」と話したくなることもある。
先日は、大学の非常勤講師の打診を受けたある人が、あまりにも安いので驚き呆れ、侮辱されたように感じた、ということを書いているのを見て、何事かを述べてみたくなった。私もこれまで何度か、大学の非常勤講師を引き受けたことがあって思うところがあるからだ。
という具合に、SNSを見ていると、自分がどんな話題に関心を持っているかということを、そんな形でも教えられるのだった。
この文章も、いったん書いてみてから投稿せずともよいか、と思ったものの、この場所(note)では気楽に思ったことを書いてみようとしているのだった、と変な思い直し方をしたんである。
*タイトルはイメージです。
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