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意識改革としての歩きスマホ

歩きスマホ、まじでうざいですよね
している方を見かけるたびに、残念に思います
そういう方の両方の目玉がイカ墨で真っ黒に染まってしまえばいいのにと思います
パスタ以外でイカ墨使ってる料理ってありましたっけ??
よくわからないですが、次世代のイカ墨料理は人類の目玉でいいんじゃないですか

さて、それはさておき歩きスマホを日本人の意識改革として役立てられないだろうかと考えました

結論から言うと、日本で広まる時期が遅そうな自動運転についての意識改革を行うために、歩きスマホを利用するということです。

日本で自動運転を普及させるのに最も大きな課題は、人々の意識ではないでしょうか。
『自動運転はあぶなそう』『わざわざ機械に運転をしてもらわなくても』
個々人では上記のような考えの人は少ないかもしれませんが、他人との協調性を重んじる日本人は、なんとなく上のような考えを誰もが持っているのではないかと気を使い、そういった謎の気遣いが世の中の空気として充満していくのです。きっと。

そして何よりも自動運転自体が、他人事として認識をする方が多いのです。
だって、都心部近くに住んでいれば、そもそも車なんて必要ないのですから、自動運転への興味関心が少なくて当然です。
そして興味関心が無い事柄については、多くの場合なぁなぁにしがちなのです。
しかし、車の運転が自動化できれば、非常に大きなリソースの解放につながるわけです(ここで言うリソースとは、運転手の時間)
人間として、他人事にしてはいけない案件です

さて、歩きスマホに視点を戻しましょう。
車を運転しない人は多くとも、歩かない人はそう多くはないでしょう。
歩きスマホに自動運転で活かされうる技術を駆使することにより、
自ずと自動運転への理解が深まるのではないでしょうか。

そして、歩きスマホにはメリットがあります。
他人とのやり取りや、動画等の閲覧のような趣味の時間の消化
歩きスマホをすることにより、上記のような趣味や交友の時間を歩いている時間の中に圧縮することが出来ます。圧縮されれば、別のことに使える可処分時間が発生し、勉学や仕事に転用できるというわけです。


ということで、歩きスマホを推進するということは
・(自動運転への理解度を深めるという点での)一般人の未来志向化
・スマホに搾取される趣味の時間等々の時間と、歩行という移動の時間との合算による時間圧縮
という2点の大きなメリットがあるわけです。


では、どういう風に歩きスマホに自動運転の技術を活かすのか。
知らんがな、と言いたいところですが、ここまで語った以上素人の考えでも発表せねばならないでしょう。

例えば、ウェアラブルデバイスに適用したりはどうでしょう。
スマートフォンとスマートウォッチを連動させ、スマホカメラで前方の注意を払う。そして、危険が近づいている場合は、スマートウォッチの振動で通知だとか。

また、こういった技術がしっかりと広まれば、ウェアラブルデバイス同士で通信を行い、特定の距離より近くに車や人が来た時に、スマートウォッチの振動による通知なども視野に入るでしょう。

また、スマートグラスが進化すれば、視界の一部に危険を表す矢印とかでも出す、ということも十分に考えられるでしょう。

なんか書いているうちに、なかなか吹っ飛んだ思考をしてしまっている気がしてきました。


まぁ。。。
みんな、歩きスマホは技術が発展してからしような!!!!!

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