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薬草についての話から脱線した魔術戦

ヤク学長(中の人)です.最近の自分の興味の一つ.
「薬草」の多様な価値観についてである

薬草が使われてきた歴史は古い. 歴史前の時代より姿・形、化学構造に至るまでありとあらゆる多様性を発揮してきた. 時にはロジックが通じることもなく. 科学的なエビデンスの影もない. また,ある時にはコンテクストも存在しない. 

かつてはどこか魔術的でもあり, 呪術的なものに使われていた. 儀式めいた暗黒なものに心を許す者たちはそんな信仰を否定されると身震いが起こる感覚に陥る. 非論理的なものを排除する現代では,そんな奇妙奇天烈なものを排除しようとするのは分かる気がする.

世界の奇妙奇天烈な集団のなかには文脈上の可能性を感じ薬草を新興宗教的に用いる文化も存在している.

薬草を見ていて思う事は, 果たして社会の分断の溝は埋まるのだろうかということだ. 速度が加速する世界と取り残された社会でこの溝が埋まることはあるのだろうかと考えている


我々の世界には傍観者や無感論者がマジョリティを占めている. 時間の流れを過去から未来に流すのが文脈上正しいとすると, 過去をあざ笑う事でコンテクストの外側から己を置くことが可能になるからなのか. ただ, それでは奇妙奇天烈なものとの対話は成立しない. 社会との分断はますます加速していく.

日本における劣等生のなかでは民主主義も地の底に落ち着き, 溝がすりこまれ無になっているのではないか. 知性主義者の言い分も分かる. それでも非論理的な..かつ当事者感覚で対話する者をどう構築していくか. 冷たき社会において妄想とまどろみのなかから脱することは重要 ! と思い筆にペンを走らせる。

薬草の話から多分に脱線したが,,,今日は疲れたのでこの話はまた後日.

記念すべき初投稿はこんなところだろう.

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