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相違点

私には十年来の友人がいる。つい先日その彼女とチャットで盛り上がっていたのだが、話は進みお互いの悩み事が話題に上がった。私自身、最近は部屋で一人で過ごす時間が長かったこともあり、かなり悩み事を抱えていたので六割型打ち明けてしまった。少し話し過ぎたかな、とも思ったが私と彼女の仲なので大丈夫だと思った。そもそも私は他人に自分の話をするのは苦手なので彼女は数少ない、心を開いている相手である。親身に相談に乗ってくれるだろうと思っていた。

だが、返答は思ってもいないものだった。まるで私が未熟であり、彼女が達観しているとでも言いたげに説教してきたのだ。そして、その感覚は身に覚えがあった。 
それは私が自分には友達が少ないから、彼女の存在が貴重でとてもありがたいと伝えた時と同じだった。相談をする前よりもかえって悩みが増えてしまったのだが、良い機会なので彼女と私の価値観について考えてみることにした。

彼女と私は小学校、中学校の九年間、そしてそのうちの最後の三年間は同じ部活に所属していたこともあり、共通の経験が多く、価値観も似ている部分が多い。話をしていてもお互いに共感することが八割を超えている。中でも、ネガティブに関する考え方はよく似ていて、他人に自分のネガティブな部分を見せるのは悪だと考えている。なぜなら、ネガティブな感情というのは他人に伝染しやすく周りの士気を下げてしまうからだ。それ以外にもお互いよく考える所や頑固なところ、そして正義感が強く勧善懲悪の精神が強いところもよく似ている。しかしながらその類似点が今回の様な場合に悪く働いている気がする。
私は他人を善悪で判断するのが苦手である、というのもその人の悪いと思った部分が自分のどこかと共感できないものかと考えてしまい、その共通点を毎度見つけては、自分の問題として受け取ってしまった挙句、自分を悪として懲らしめなくてはと自分自身に勧善懲悪の精神が働き、猛省してしまうのである。そのため、長い間過去の過ちを背負っていることが多い。対して彼女は自分が過去に犯した過ちや失態は、今の自分は乗り越えることができた、即ち功績だと考えているらしく、長々と引きずることは無いそうだ。そして他人のことは非常にはっきりと善悪で区別することができると言っていた。そんな彼女の決断力がありあっさりとした性格が私は大好きで、憧れてもいる私の最大の味方だ。しかし、相談事となると私たちの価値観は悪く働いてしまう。過去の失態をなかなか手放せない私のネガティブな相談事を彼女に聞いてもらうことで、私は途端にネガティブな人として彼女に映る。そうすると彼女の中で私は懲らしめるべき、避けるべき悪になってしまい、しまいにはやんわりと拒絶を見せた説教をさせてしまうことになるのだった。

彼女とのおしゃべりは本当に楽しいのだけど、彼女と私の価値観における唯一にして最大の差異に私の核心はあまりにも傷ついてしまう様だ。もう私には彼女に自分の話をする勇気など無くなってしまった。
                                                     

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