練習をしたら下手になる

「練習は嘘をつかない」
「努力は報われる」

太古の昔からたくさんの人が触れてきた言葉だと思います。
そして身の回りにも、「上手くなるために練習を頑張る」というようなことを言う人はたくさんいると思います。とても前向きな姿勢、素晴らしいと思います。とても応援したいです。

同時に、「練習をしたら上手くなる」は必ずしも正しくないことを知っている人も多いのではないでしょうか。
勉強なんかだと特にそう感じる人が多い気がします。


私は、もっと過激に、「練習をしたら下手になる」という可能性があることを、強く考えています。
身の回りでこの考えをする人はあまりいないのですが、今回の記事ではそんな可能性に関して色々書いていきたいと思います。

良い練習とは何か

「上手くなるために練習をする」と口にする人は多いだろうけど、そもそも練習ってなんでしょうか。

練習とは、「何かの指標を良くしようとする活動」のことだと認識しています。わざわざ「何かの指標」と分かりにくく書いたけど、「正確さ」とか「いい演奏度合い」とか「ハモリ度合い」とか「エモさ」とか、そういう何かだと思ってみてください。定量的なものも定性的なものもあると思います。そして、これらの指標は人によって様々だし、無数に存在しうると思います。

この定義に基づいて考えると、その練習が良い練習だったかどうかは、ざっくり質×量、つまり「何の指標が良くなったか」×「どのくらい良くなったか」によって評価できます。良くしたい指標を良くできたのか、何種類の指標を良くできたのか、それらがどのくらいよくなったのか、という考え方です。

これらの指標は、練習したからといって必ず良くなるものではないです。このことは音楽に限らず、スポーツや勉強などでも同じことが言えると思います。数学の勉強をしたからといって、数学の成績が必ず上がるわけではないのと同様に、合唱の練習をしたからといって合唱が必ず上手くなるわけではないのです。

指標が良くならないだけならまだしも、悪くなってしまうことだってあります。勉強だとあまり想像できないかもしれないけど、スポーツの世界では良くあることのように思います。短距離走のタイムを縮めるために筋トレをしたら、フォームが崩れてタイムが遅くなった、なんて状況なら想像しやすいかもしれないですね。

このように、練習とは「何かの指標を良くしようとする活動」であり、良い練習をすれば実際に何かの指標が良くなり、良くない練習をすれば時間をかけても指標は変わらないか、むしろ悪くなることもある、ということが言えるのではないでしょうか。

良い練習をするためにはどうしたらいいのか

では、どうしたら「何かの指標を良くする」ことができるのでしょうか。

良い練習をするためには、広く一般的な「問題解決」と同じ枠組みで考えると良いと思います。つまり、
1. 理想・目標を特定する
2. 現状と理想の間のギャップを特定する
3. ギャップを生み出している原因を分析・特定する
4. 原因を解消するアプローチを考案する
5. アプローチを実施する

という流れを踏むと良いのではないでしょうか。
(問題解決の枠組み自体はもう少し色々あると思いますが、今回は上記の大まかな流れに沿って考えます)

この流れを踏まないとどうなるかも交えながら説明していきます。

1番目の「理想・目標を特定する」ができていない練習はつまり、ダラダラと何回も歌い続けるような練習などです。なんとなく今扱っている曲を一人で歌ってみて、それで終わり、など。
「日常的になんとなく歌うのはあるにしても、『練習しよう!』ってときにテキトーに歌うだけなんてある?」と思う人もいるかもしれませんが、これは合わせ練習の時に起こりやすいと思います。一回歌わせてみて、区切りのいいところで止めて、曲の背景を話して、「じゃあもう一回歌ってみようか」、など。歌った内容に対するフィードバックもなければ、次にどうして欲しいかの要望もなく、とりあえず何回も歌ってみる。こういった練習は、どこに向かえば良いのか・何をすれば良いのかが分からないので、そもそも良くするべき指標が用意されてない状態と言えるでしょう。指標が用意されないのに指標を良くできるわけがないのです。

2番目の「ギャップの特定」を行わないのはつまり、「なんか違うな〜」といって何回も繰り返すような方法などです。例えば、「高音をもっと綺麗に出したい」という悩みを持った人が、ある高さの音を歌ってみて、良い感じの歌い方になるまで何回も歌ってみる、など。
理想や目標はあるため、良いか悪いかの判断自体はできるようになりますが、こういった方法を選んでしまうと、評価が「総じて悪い」「総じて悪くはない」「総じて良い」というような大雑把なものになってしまい、「悪い時にどう悪いのか」がわからないままになってしまいます。そうすると、原因分析もできなくなってしまいます。
ギャップを特定できている状態では、例えば「音色がざらざらしているから、もっとクリーンにしたい」とか「すぐひっくり返るから、ひっくり返らないようにしたい」とか、どう悪いのかを言語化することができます。そうすると、どこが悪いのかを分析する足掛かりになりえます。

ギャップの特定ができたら、3番目の「原因分析」と4番目の「アプローチ考案」をしていくことになります。これは例えば、「高音で音がざらざらするからクリーンにしたい」という課題を解決したいなら、「なんでざらざらするのか」「そうならないためにはどうしたらいいのか」ということを考えていくステップです。
このステップは、知識がないと非常に難しいです。なぜざらざらするのかを調べたいなら「ざらざらするとはどういう現象か」「ざらざらしてるときとしてない時では何が違うのか」といった知識が必要になります。しかしこれは、声が出る原理や発する声の高さが変わる原理、それが音色に与える影響など、幅広い内容を理解していないと答えがわからないことがほとんどです。そのため、ちゃんと専門的な教育を受けた指導者などの出番が来ることになります。
原因がわかれば、それを打ち消す動作をさせることで解消することができます。例えば高音がざらざらする課題だったら、
「ざらざらするのは仮声帯が強く働いてしまっているから」
→「仮声帯が強く働くのは吐く息の量が多いから」
→「吐く息の量を減らすためには吐く時に吸う筋肉を一緒に使えば良い」
→「吸う筋肉を使うためには肋骨を外側に広げながら歌う」
などといった流れで解消できます。
(※この原因分析・アプローチが適切である保証はないです。あくまでも一例。)

発声の話題だと小難しく感じるかもしれませんが、曲作りなどではもう少しわかりやすいかもしれないですね。例えば「もっとクレッシェンドしたい」という課題があった時に、「クレッシェンドの前が大きい」という現状、「クレッシェンドの前が音域的に高くて音量が出てしまう」という原因を見つけ、「高い音域で小さく出す練習をする」というアプローチを取る、のような流れでも同じことが言えます。
この流れを踏まずに「もっとクレッシェンドして!」とだけ言っても、歌い手がとても習熟しているならともかく、そうでない場合は気合いで片付けようとして事故るなんてことも少なくないと思います。

このように、良い練習をするためには、問題解決の流れをしっかり汲むことが重要だと考えます。特に、原因分析を行わない人は多いです(もちろんとても難しいからできないという人も多いと思う)。まずは思考の癖をつけるところからでも、現状の分析と原因の特定をしていく姿勢を身につけると、それだけで練習の効率が上がるのではないでしょうか。
(専門的な教育を受けてきた人であっても、原因分析を行わない人も多いように感じてしまう。良い音楽家が必ずしも良い音楽教育者であるわけではない、ということを肝に銘じておきたいところ。)

練習の副作用

先ほど、「良くない練習をすれば時間をかけても指標は変わらないか、むしろ悪くなることもある」と書きましたが、指標が悪くなる可能性についても言及しようと思います。

例えば、「もっと音量出して!」と指示した時に、音量以外の変化も出てしまうことはよくあると思います。純粋にデシベルが大きくなるだけではなく、例えばひっくり返ってしまったり、ハモリにくい音色になってしまったり、言葉がわかりにくくなってしまったり。
他にも、「体のここをこう使って!」と指示した時に、指示された部分も使えたけど他の不必要な部分にも同時に力が入り、結果として力みにつながってしまう、なんてこともあると思います。
このように、ある指標を良くしようとすると、他の指標が悪くなってしまう、という現象は頻繁に起こります。つまり、副作用です。どんな練習・アプローチにも副作用は起こりうると思います。

こういった発声の調整をする上で、何かの指標を良くしながら副作用を抑えるのは、現実問題とても難しいと思います。向かうべき方向がどこなのか、そのために何をするのか、といった要素は無数にあるからです。
ただ、こういった発声の調整をするような人たちなら、細かい音色の変化などにも気を配っていることが多いと思いますから、副作用ばかりが目立つようなことにはなりにくいかもしれません。

しかし、多くの人が気づいておらず、そして思ったよりも深刻な問題を引き起こしかねない(と私が考える)副作用があります。
それは、惰性で何回も歌うことによる悪癖の定着です。

練習とは、何かの指標を良くすることだと書きました。しかし、指標が悪いまま練習を重ねてしまうと、その状態が通常状態となり、指標を良くするのがどんどん難しくなっていきます。これが悪癖の定着です。
分かりやすい例で言うと、発声でしょうか。慣れ親しんだ発声方法は、「一旦やめてみる」みたいなことがとても難しいです。その結果、「もっとこうしてみて」といった指示が慣れ親しんだ発声方法だと難しい場合、なかなか解決できないことがあります。ありがちな例だと、華やかさを出そうとする発声が定着した結果舌が固まって発音が不明瞭になったり、音程を全力で守ろうとする発声が定着した結果流れが悪くなったり、といったあたりでしょうか。他にも、少し低めの音程で記憶してしまってずっと低くなってしまう、などということもあると思います。

慣れというのは恐ろしいもので、無意識にそうしてしまい自分では気づけないケースがとても多いです。もし求められるものが無意識にできているなら素晴らしいですが、求められていないことを無意識に行なってしまう場合、それを治すのはとても時間がかかります。全くの0からではなく、マイナスからスタートしてるのと同じなので。

こういった無意識の癖というものは、合唱以外の人生で身についた癖か、なんらかのアプローチによって生まれた副作用のうち指摘されずに放置されていたものが回数を重ねるうちに定着してしまったものが多いと思います。一度定着すると、取るのはなかなか難しいです。

そのためにも、「歌うたびに何をどうするのか目的を持って歌う」ということが重要になります。自分が気持ちいいように歌うと、声を出すことや気持ち良くなるという指標を満たす代わりに、悪癖が定着しやすいと思います。
団員に目的を持って歌ってもらうためにも、練習を進行する人は、何をして欲しいのかを常に要求する必要があると思います(合唱団員が自立している場合はその限りではないかもしれませんが)。
「なんとなくもう一回」ではなく、「もう一回やるからもっとこうしてみて」というように、少しずつ意図を積み重ねていくことで、副作用を抑えつつ改善したい指標を改善していくことができるようになると思います。


一口に「練習する」といっても、その内容も効果も様々であること、そして「練習をすると下手になる」という状況が存在することを書いてみました。
練習しても上手くなれない時間は誰にとっても辛い時間だと思います。もしそんな悩みがある場合、とにかくがむしゃらに頑張るよりも、一息入れて冷静になり、(紹介した内容が全てではないですが)問題解決の枠組みに沿って、戦略的に練習することをオススメします。

頭を使って練習すれば、きっと練習は嘘をつきません。
でも、この記事の内容もどこまでが真実なのかわかりません。
頭を使って各自で判断してください。

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