無題0

2019-1-005
日本人とミスの関係に関するスレへの投稿内容


有限性は与件、代替不可能な有限性は引き受ける以外ない、現条件上での代替不可能と見なせるまで、
有限性を縮小させてる(理想が割り引かれる程度の最小化)かが有限者における論点、以上を認めましょう。
重大性など、状況に振り回されやすく(この段階で後手後手)力不発揮の頻発、ミスにミスを重ねやすい、
そうであれば付き合う必要のない要素と引き受けるべき要素の選り分けからやり直す必要あるのでしょうし、
資質と環境、それぞれの最大限抽出された代替不可能な要素のみ引き受ける有り様を長期的に追求する事で、
能力のどうせ避けられない有限性(偏りや限界)を、真っ当な根拠の有る特化の現れに変えるべきです。

また、真っ当な原理の下に割り振られた帰結(損得やポジション)なら納得する、
かつ、その場その場の本質(問われるべき事)を損なわないように形式や帰結を組み上げる能力を、
場(内面や局面含む)の管理者の要件(権限行使の根拠、受容条件)として、
要求できる、評価対象とする文化も、組織や社会には必要と思います。
功罪の帰属への操作や演出も、場の表層的性質に合わせた加工の類なら理屈上管理失敗として扱えます。

ただ、日本は個が過剰に負わされる傾向(場の表層的性質が個に先立つ、現実的でない場合有り)が見られ、
神や神に類する位置に人が取って代わる複数の経緯を持ち、かつ、
絶対性(場に合わさない)の感覚と結び付いた神(解放者)観念を抱いてきた欧米の個人観や自由観を、
あるいは、統治観をキャッチアップする反動的解決(相対から絶対へ)が言われる事も珍しくありません。
それら上の達成にとってのネックを自覚し、
場に合わせる合わさないの次元に留まったり、振り子で満足しないよう、
個々の場での割り振りを他の場に越境させない配慮も内包した、場の本質にしか応じさせない在り方に、
自由平等や抑制するしないの実質を見ましょう。

ご支援の程よろしくお願い致します。