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不慣れな雪の日に一人を思う

ガリ、ガリと聞き慣れない何かを削るような音が窓の外から聞こえてきて、私は目を覚ました。暫く布団に潜ったままでガリガリという音に耳を傾けていると、音の正体の目星がついたので、私はのそのそと布団から這って起き、カーテンを開けた。
やっぱり。雪が、窓の向こうの山を、家々の屋根を、向かいの駐車場のアスファルトや車たちを、こんもりと白く覆っていた。ガリ、ガリという音は、シャベルや雪を運ぶプラスチック製のチリトリのような道具が、路面と雪との間でぶつかって鳴る音だ。気候の温暖さでは日本有数の瀬戸内海側の地域で、生まれてこのかた30年を過ごしてきた私には、積雪も雪かきの音も、皆慣れなくて新鮮な景色に属するものだった。

ちょうど燃えるゴミの収集日だったついでもあり、雪景色をいち早く近くで見たくなり、いそいそと寝巻きにダウンを羽織って、パンパンの45Lのゴミ袋を片手に家の外に出た。積雪深は2〜3cmほどで、決して豪雪とはいえないが、一歩一歩を踏み出すたびに、靴底が雪にしゃり、とめり込んむ感触が、やはり珍しくて楽しい。

ゴミを捨てた後、住んでいる社宅の入り口に立っている四角い案内看板の上にも、小さな雪の小山が連なっていた。私は看板に駆け寄り、小山の雪を手でかき集め、猫のような動物を作ってみた。ちょこんと小さな2つの耳に、ぴんと立った子供の指ほどの長さの尻尾を足してやれば、雪うさぎならぬ、雪ねこのできあがりだ。
30過ぎのいい加減立派な大人を称すべき女係長が、雪にはしゃいで朝から嬉々として雪ねこを作っていた様子を目撃した人がいれば、その子供じみた振る舞いに呆れるなり、からかうなり、大人の雪遊びに共感できないという何らかの態度を私に示すだろう。

でも、ここにきっと家の者がいたら、一緒に遊んでくれるだろうなと思った。
家の者、私の配偶者は同じ職場で働いていて、去年は一緒の社宅に住んでいた。今は彼だけ転勤して、私が住んでいるところにはいない。彼なら私が「雪ねこの目やヒゲにする草木を探している」といえば、傍らの雑草が生い茂るあたりに一緒にしゃがんで、ヒゲになりそうな枯れた草木の茎の一本ぐらいみつくろってくれるだろう。

とはいえ、彼はここにはいない。私は部屋に戻り、「今年も雪が降ったよ!」と雪ねこの写真をLINEで彼に送って、出勤の身支度を始める。そして淡々と仕事に向かい、今日も黙々と事務仕事に勤しむ。

仕事がひと段落して、気分転換にタバコを吸いに出た。喫煙所は屋外、建物の裏手にある。雪は止み、雲が引いて青空が天に広がっていた。しかし雪は残っていて、建物の周辺一帯に積もったままの雪が、晴れ空に反射して真っ白に眩しくて、私は思わず目を細めた。この清々しく白い明るさもまた、雪に慣れていない私には新鮮でしかない類の眩さだった。
白くまばゆい辺りを煙草片手にぐるりと見渡すと、雪に埋もれた小さな木々の合間に、小さな椿の赤い花が覗いているのを見つけた。美しいと思った。

でも、美しい景色を見たのだと報告する相手は、ここにはいなかった。
「晴れの光が雪に反射しているのが、白くて明るくて綺麗だった」「雪の中に椿の花が咲いている様子が、綺麗だった」と言える相手は、ここにはいない。
なぜならここは仕事場で、一緒に働く人々と交わすべき会話は、業務のことだけだ。美しい者についての話題は、仕事には要らない。私が、雪景色にいちいち感激するような感性の持ち主であることを、知っている人もいない。

そしてまた、家の者のことを思った。彼は私が日常の些細な景色の移ろいに、いちいち感度を震わせて仕方がない人間だということを、よく知っている。その上で、私の話を不必要なものとも何とも思わず、ただニコニコと聞いてくれるだろう。「あの白さはすごいよね」だとか、「あそこに椿なんて咲いてたかな」なんて、彼なりにシンプルなコメントをつけて相槌を打ってくれるだろう。

とはいえ、彼はここにいない。煙草を吸い終えて、私は仕事に一人で戻る。ここにいるとき、私はずっと一人だ。そして一人であるゆえに、私には配偶者の存在を思い出す。私はここで一人だと感じるからこそ、ここではない場所で一人ではない状態の自分が、この世に存在していることに、はたと気づく。

私と彼は今年の初夏に籍を入れる予定で、これで書類上はれっきとした身内になる。私は身内ができるということが、雪に対するいちいちを、無邪気に言える相手ができることだといいな、と思う。

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