昭和育ちなのに浮かばない #あのころ駄菓子屋で
ひもつき飴、フーセンガム、ジューC、ベビーラーメン。
駄菓子の思い出を掘っても、出て来るのはその程度。
だれかの投稿で、50円持って駄菓子屋に毎日通った、というのを見て、わたしも思い出そうとしたけど、ほとんど何も浮かばない。
上にあげた駄菓子にしても、ひもつき飴以外は、スーパーで見た方を、よりはっきり覚えている。
駄菓子屋はあった。でも、そんなには行かなかった。ほかの子も似たようなものだった。毎日、駄菓子屋に行く子は、わたしのまわりではいなかった。
うちが特にきびしくも、特に貧しくもなかった。でも、そこそこに、両方とも、あてはまっていたからか。わたしの地域か世代のせいか。年齢のせいにはしたくないが、記憶力か。
スーパーが、八百屋や商店街と比べて、新しい頃だった。
幼いわたしの「おかし」の思い出は、駄菓子ではない。大好物が2つあった。まわりの大人もみんな知っていた。
ペッツ (PEZ)と、チョコレートボンボン(もちろんアルコール入り)。
どちらも50円。スーパーにあった。
だれかが、なにかのおだちんとかお小遣いで、50円くれる。すると、わたしは、そのどちらかを買いに、スーパーに走って行っていく。
駄菓子のことはあやふやだが、こっちの思い出は鮮明だ。見たわけではないのに、息をきらして走っていく自分の姿まで、目に浮かんでくる。
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