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◇不確かな約束◇ 第7章 中


経理の笹川さんに怒鳴られた。たいしたことのない出張に行って、簡単な伝票も期日通りに、間違いなく出せない俺に、笹川さんは、きつい。

「いつになったらできるんじゃ、おめえは。なんも他には、取り柄もないくせに。ちいたあ、役に立てえ、半人前が。」

1年目の最初から、いつまでたっても、この物言いには慣れない。笹川さんだけじゃない。声を荒げるのは、地元出身の人ばかりだ。土地柄か?地元民の甘えか?自分のシマの心強さ?悪かったなぁ、よそもので。反省よりも、俺はいつも、心の中で毒づいた。

新卒の時に後悔した毎日を思い出す。心細く、職場がつらく、正規の勤めというものが苦しかった。

造船業の営業は、たいがい、もう得意先である事業主をあたるだけだ。西日本圏の日帰りの出張が多い。東は東京支社の持ち分だ。新幹線で行けるところはいいが、中四国や九州の多くは、乗り換えがあったり、新幹線そのものが通っていない。

田舎を故郷に持つ人たちをうらやましいと思う。でも、そういうところに出向く時、俺は、東京に育った幸運を思ったし、こんな所に来てしまった不運を恨み、逃げ出したい気もした。

佐伯カナがいなかったら。


やめずに3年目の秋が来た。

広島には、造船会社が多い。それぞれに特色のある船舶を、受注で作る。中規模のを作るうちの会社は、需要は伸び悩んではいないが、国外での注文も以前より受けるようになった。まあ、地味な瀬戸内海にへばりついて仕事している俺には、今のとこ特に関係ない。

佐伯さんと俺は、気がつくと、自然に手をつなぎ、体に手を回し、ホテルに行っていた。カナさん、シュウくん、と呼ぶ間柄になっていた。

カナさんが、あの日、3分だけ抱き合おうと言ってから、俺たちは、話さない日はなかった。もちろん、どちらかが出張でも行ってない限りは、仕事でも毎日顔を合わせる。でも、実家に暮らすカナさんとは、夜を明かすことはめったにないし、平日には、帰りにちょっと飲んだりくらいしかできない。

その分、週末にはよく、最初はカナさん運転で、最近は、ペーパードライバー返上の俺の運転で、県内や近回りの色々なところに出かけるようになった。東京と大阪しか知らない俺には、広島や近隣の県がおもしろかった。外国だった。

「俺、大阪より西の人は、みんな関西弁喋ると思ってたよ。」

「いるいる、そういう人。うちの大学にも、茨城から来てた子がいた。関西だと思って、だまされたって。」

ハハハと笑うけど、俺も似たようなものだ。

「宮島や原爆ドームだけじゃないんだから、広島は。」

カナさんは、中四国をほとんど知らない俺を、からかうように言う。この頃じゃ、那須の与一の扇の逸話とか、やたらと総理大臣の出ている隣の県とか、出雲大社だとか、明治維新とか、海の向こうの、坊ちゃんやら龍馬やらが、身近に感じられる。

カナさんは、成人だが実家暮らしプラス嫁入り前の娘なので、深夜までいっしょにいても、必ず家に帰る。実家に住む女はどこだってそうなんだろう。それが、ときどき物足りない。もっと一緒にいたい。

果てた後、枕に頭を寄せて、俺たちはいくらでも話すことがあった。

そのまま眠って、起きて最初にカナさんの顔を見たい。その体に触れて、起きがけに一発やりたい。彼女とは、何回でもできそうな気がした。帰っていくシンデレラだと思うからか、よけいに激しく燃える気もした。

俺が舌を入れると、彼女もそれにすぐ応える。それが体のどの部位であろうと。背中をなで、すぐシャツやセーターの下に入れる。そのまま、胸をもみしだいたり、下にのばす俺の手を、カナさんはそのままにする。少し喘ぎ声を立てる。

でも、カナさんはたいてい言葉にする。「セックスする?」と。俺の硬くなっているものをまさぐりにくる。その手や口で、癒しにきてくれる。

服を脱いでしまってコトを始めると、じき、いきそうになる。俺はカナさんのバックが好きだ。どんなに夢中になっても、イカないようにする。

もうだめだという直前に、カナさん、あっちむいてと言う。彼女は汗ばむ体を翻して、腰を突き出す。その、後ろ向きで顔を見ずに抱く時だけ、俺は彼女を呼び捨てにする。

カナ。

大島や萩に行った帰りのラブホだったり、俺のアパートだったり。日本のエーゲ海とかいうたいそうな呼び名があるので行ってみた、岡山の辺鄙な海辺の町に行った帰りに、尾道で降りて入ったホテルとか。

それでも、カナさんは、朝になる前には自宅に帰る。親によけいな詮索されたくないし、そんな話題になると、うちがギクシャクしそうで、と笑う。私、箱入り娘なんで、と冗談めかす。



その秋、カナさんに辞令が出た。

船舶営業部、東京支社。

カナさんは有能だ。現場は船舶関係なので、工学の知識がないとバカにされるが、彼女は、現場にもちょくちょく顔を出すし、何人かの顔見知りもいる。船を作る会社がいくつもある広島で、そういう仕事に携わる親戚もいた。

なにより、瀬戸内の海に浮かぶ船を見ながら育った彼女には、船のことは、未知の世界ではなかった。

造船部には、高専や工業高校、大学工学部の卒業生ばかりだ。営業部なんて、どこの会社にもあるが、俺らの所くらい、社内の他の部署の人間に軽く見られてるところはないんじゃないかという気がする。

営業の俺たちは、売ることだけ。それでも、会社にすれば、売れなきゃ話にならないので、営業部は重要だと思われてはいる。

東京支社への転勤は、それ自体は栄転ではないが、カナさんはそれだけ認められ、期待されているのだ。国外での受注にもっと力を注ぐことになったので、東京支社に人を増やすことになった。将来を嘱望される若手で、結婚してなく身軽。彼女に白羽の矢がたった。



転勤のことを会社で聞いた日、彼女は泊りの出張で神戸にいた。LINEでメッセージを送ったが、本人からは何もふれないので、俺も聞かない。

俺は動揺した。

なんで、俺が知らないんだよ。

いいのか、会社、先輩を送っても。俺はどうなる?カナさんを東京支社に行かせるなら、俺はもうこんな片田舎なんか、いたくなくなるぜ。それでもいいのか。俺、やめるかもよ。

出張から遅く帰ったカナさんは、次の日休みだった。仕事を定時で切り上げて帰ると、アパートに彼女が来ていた。濃厚なキスはしたが、出張のことが頭から離れない。まず話がしたい。体を交らわせるのはがまんした。何でもないように言う。

「転勤するんだって?いつから行くの?」

「2週間後。やっぱり聞いたよね。」

「2週間後って。早くね?」

「知らないよ、私が決めたことじゃないし。」

「知らなかったんだ?ほんとに。」

「うん。でも、打診はされた。ひと月前に。どうしてもと断りたいなら候補にはしないと言われた。」

「行くって言ったの、カナさん?」

「んー。断る理由はありませんって言った。」

マジで?

「俺には何にも言ってくれなかったのに。」

本当に言いたかったことを口にした。カナさんは、言葉を選ぶようにゆっくり話した。

「私だって、そんな本気で考えられてるなんて、思ってもみなかったから。」

「でも、行くんだ。」

「うん。」

「一人暮らしになるね、やっと。東京行ったら。」

「うん。親はいやがってるけど。」

「なんで?サエキサンが優秀だって認められたんだよ。すごいよ。」

「バカ。私も、、、」

カナさんは、黙り込んだ。俺は、気の利いたことを言う元気がなくなった。

「俺、どうすんの、カナさんいなくなったら。やめちゃうよ、仕事。俺、さみしいよ。」

「ほんとに行きたいかどうかはわからない。」

「じゃ、やめちゃう?断ろうか。」

カナさんは、にらむような目をして俺を見た。

「私たちの、じゃないよ、これは。私の、決断だから。」

なんで?

思い切って口にしてみる。

「俺たち、結婚する?」

「そういうこと言う?私、そういうの、冗談で聞きたくない。」

冗談じゃないって、と言う代わりに、俺は顔を寄せて口づけようとした。

でも、カナさんは応えてくれなかった。いつもは、ここから始まるのに。なだめにきてくれるのに。バックから突かせてくれる。カナ、と呼び捨てにさせてくれる。

カナさんは、俺を押して、体を離した。

「今日は、疲れてるから。ちょっと、いろいろ考えたいし。」

久しぶりに会ったのに、俺たちは、珍しく、抱き合わなかった。カナさんは、夕食をいっしょにと言う誘いにものらず、帰って行った。

いい年して、なんだよ。これだから、田舎の女は。俺の気持ちも考えろよ。

なんで、あなたなんだよ。なんで、俺じゃないんだよ。

毒づく相手が誰なのか、何なのかわからないまま、じっとしていられない気持ちになった。車に乗り込んだ。向かうのは海。

波の音でも聞いたら、気持ちが落ち着くか。そう思っているのに、海に続く街道をとばしながら、俺はステレオのボリュームを目一杯あげ、聞きたくもない音楽をガンガン鳴らした。


 
*    *    *

第7章「下」に続く



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