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やるんですよ。「また」じゃなくて。

「先輩、俺3月いっぱいで会社辞めるんすよ」

仲の良い後輩から電話で告げられたのは、3月も終わりに差し掛かる頃の事でした。

私も彼も就職氷河期世代。周りの年代よりも採用は少ないので、数少ない世代同士必然的によく話をするようになり、仲良くなりました。私も彼も実家から遠い場所だったので寮も一緒。私が行った出向先に、私の後に行ってくれたりもと色々なご縁がありました。

通常、出向というとこれまでの働きに報いるご褒美なことが多いのですが、私が行ったのはご褒美じゃないやつでした。思考を奪う長時間労働に人格、能力否定。当時も最初は「こんな事言いやがって」とか思ってましたが、すぐに牙を折られて「ごめんなさいごめんなさい私が悪かったですすぐに直しますから許してください」に変わりました。会社が狂ってたのかその時の上司が狂ってたのかはよく分かりませんが。

書いてて思い出しましたが、最後のはラーメン屋台で麺が延びるまで説教されたんでした。他にも石焼ビビンバが焼きすぎになったり。ご馳走してくれるのは嬉しいのですが、食べ頃に美味しく食べさせて欲しかった。
こんな風に今では考えられない仕打ちをいっぱい受けましたが、逆に出向で来ている人間にそこまで時間や熱意を掛けて指導していただいたという点では感謝してもしきれないと思っています。本当に。たぶん私の心が壊れるギリギリのラインを常に攻めてくれたんだと思います。当然、私が受けた仕打ちを彼も受けたわけで、色々と励ましたのを覚えてます。

そして出向が終わった後は、同じ部署でまぁまぁ長い期間一緒に働きました。部署といっても本部セクションですから、一言でいうと地雷一杯の伏魔殿。辛いことばかり。いつも制限ギリギリいっぱいまで残業を余儀なくされ、殆ど毎月休日出勤。夜10時に独身寮の共同食堂で軽く飲酒しながらよく管を巻いてました。
辛すぎて彼がおかしくなり「うちの秘書と合コンしましょう!」というハードルの高い企画をセッティングし、一緒に参加者を説得し、田舎の数少ないフレンチレストランでフルコースを頂いたこともありました。たぶん身許や顔が綺麗な女性と居たと思うのですが、スズキのポワレが美味しかったこと以外覚えてません。当然のようにすぐ本部ビル中に知れ渡り、性格のいやらしい先輩から「君たちはなんか悪いことをしているらしいね?ん?」とか言われたことも。僕らはファーストペンギンなんすよ。飛び込まなきゃ餌も食べられないんだから足引っ張らないでください。その後、一週間くらいで隣県の支店の方からも同じようなことを言われた時は、悪事じゃなくても噂は千里を走るのがこの業界なんだと思いました。

お互い結婚してからは、さすがにそんな風に飲みに行ったりすることも減りました。あ、でも結婚式で妻の思い通りにばかりさせた私が一つだけお願いしたことが、彼と一緒に歌うことでした。一緒にカラオケでよく歌ったのを披露できたので楽しかったです。妻はキレてましたが。

田舎の小さい会社なので、私が本部を出て支店に行ってからも助けても貰えたし、衝突もしたし、沢山ありました。詳細は省きますが、私がこれまでそれなりに世間に顔向けできるような仕事ができたのは彼が助けてくれた面が大きいと思っています。

そして、冒頭の話に。彼は確かにこの田舎の小さい会社にとどまってる器じゃないよなぁ、とは前々から思ってました。理由を聞いてみたら一から勉強しなおしたいから転職するんです、と。彼の秘めた熱量に触れたのは久し振りだったのですが、若い頃の、あの何にでも立ち向かっていけそうな感覚が甦ってきました。私もこのままじゃいられないよなあ。

こういう時はきちんと送別会をして、話をして、新天地へ気持ちよく送り出したいと思ってたのですが、世の中がコロナでざわつきだし、飲み会ダメとか規制をかけられたからそれすらも出来ませんでした。色々と思い出話はあるけど、語る前に彼は遠いところへ行ってしまうことに。

それでも、偶然なのか必然なのか、彼の辞める前に彼の部署に行く機会があり。その時に一言二言交わしました。
「お疲れさん、もう日がないから飲みには行けないけど、東京行ったら声掛けるから、また飲みに行こうな」
「またやろうじゃいつまでもできませんよ。やるんですよ」

そうだった、こういう奴だった。またなんて言ってたら永遠に会えないわな。話を聞いたあの時、先に無理にでも予定を入れとけば良かったと後悔してます。落ち着かなくても、落ち着いても、あのマグロづくしの寿司を食いに行きましょう。そしていつものように生で乾杯しましょう。大丈夫、必ずやるから。

※このストーリーはフィクションです。登場人物や会社は架空のものです。仮に、実在の生存者、また会社に似ているとしても偶然の一致とお考えください。
本作品は、 note #また乾杯しよう という企画に応募しています。

#また乾杯しよう  

私なんかで良いんですか…?