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今日はきのうの続きだけれど

なにぶん生きるのが下手くそだから、食材の期限が切れる。どんどん切れる。悪くなる。
しかも、体質なのか、よし自炊頑張るぞ、と食材を買い込んだり、自分にしては手の込んだ料理を作ったりすると、体調を崩す傾向にある。

そういうわけだから、私は、期限切れの食品、しおれた・とろけた野菜などと常に戦っている。
その時に、私を強くしてくれる詩がある。みつはしちかこさんの「今日はきのうの続きだけれど」だ。


〜以下引用〜

今日はきのうの続きだけれど

今日はきのうの続きだけれど
朝ごとに目覚めるように
いちにちは 日々に新しい

きのうのぬくもりを肌に
今日のつめたい服を着よう

ちょっとひざまずいて
祈りに似た気持ちで
手早く服を着よう

窓をあけて
きのうとはちがう
新しい季節の顔に
あいさつを送ろう

雨でもよし 風でもよし
曇りでも 嵐でもよし

わたしの今日は
これからはじまる

(みつはしちかこ、「今日はきのうの続きだけれど」)


私が励みにしているのは、この詩の「今日はきのうの続きだけれど」の部分である。「今日はきのうの続きなんだから、それが連続している訳だから、2日前消費期限のこの肉が、今日食べられないはずがない」という具合である。
この詩のそこだけしか心に響かないのか、とバチが当たりそうだが、他の部分も好きだ。

小学校の国語の教科書に載っていた詩で、よく音読させられていたから、2連目まで覚えていた。
2連目の、「昨日のぬくもりを肌に 今日の冷たい服を着よう」が、なんとも言えないが好きだ。あったかいお布団の中は、まだ昨日が続いてるみたいなのに、着替える服はひんやりとしていて、はっとした気持ちになるのだ。

このnoteを書くに当たり、詩の全文を調べていて、こんな内容だったっけ、と思った。こんな希望にあふれていたか、と。
この4月から社会人となった。なかなか、朝にこういった思いを抱く余裕も今はないが、再びこの詩を全部読めてよかったと思う。

話は少し変わるが、小学校の国語の音読、あの頃は何の意味があるのだろうかと思っていたが、
今思えば、音読のおかげで、こうして詩のかけらが心の中に残っているというだけでも、私にとっては意味があることだったなと感じる。教育的には何か他の意味があるのだろうが。

話を戻そう。なぜこの文章を今書いたのかというと、たった今、昨日期限の牛乳を一気飲みしたからである。
私は気持ちで負けてしまうタイプだから、もうお腹を壊しそうだ。

と、ここまで書いて気づいたが、この詩は、今日はきのうの続きだけれど、今日はきのうとは違う、と言っている。つまり、今日は昨日と違うから、昨日までの牛乳は、昨日までの牛乳でしかないのか?

だけれど私は、今日はきのうの続き、今日はきのうの続き、と唱え続けよう。

そして明日は、また今日とはちがう1日が始まる。どんな1日でも良い、日々生きている。

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