8/20の日記
難しい本(難しくなくていいし本でなくてもいい、映画とかゲームとか)をよくわからないまま読んでもいいし、読み終わったときにその本について何か言わなくてもいいじゃんと気づいてから読書のモチベが上がり、今年は自分としては本を読めている。
でもそれは学んだことをアウトプットせねばならない状況に現在の自分が置かれていないだけのような気がする。大学にいるときは「わからなきゃ、なにか言えなきゃ」みたいなプレッシャーがあった。最近気づいたが、そういった強制力によってなにか実力以上の力を発揮したことがあんまりないし、たぶんあんまり好きではない。
「気づいた」って「づ」をひらがなで書くと思い出すのが小学3年生のときの理科の先生だ。スパルタ教師の彼は毎回授業の最後に「気づいたこと」をノート10行分(!)書くようわれわれ児童に強いてきたのだった。
翌年度から図工と体育もその先生の管轄になったが、彫刻刀を使う際、1ストローク彫るたびに「浅く!」「短く!」と掛け声を出しなさいと言ってきたし、一時期の体育では整列したままバーピージャンプをやらされたりして軍隊そのものだった。
子供に不必要な規律訓練を施して自分の支配欲を満たすしょうもない人だったのだと今ならわかるけど、当時の私にとってはただただ怖い先生だった。
しかし、あのときは「気づいたこと」を5分で10行書けていたということになる。今の自分では考えられない速さのアウトプットだ。
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