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高いという物差

高いと判断する基準。
兼ねてからそれが気になっていた。そもそも物の価値なんてものによって全然違うし、正直それが高いか安いかなんて誰にもわからないと思う。それが何かを知ったような口で高い安いと決めつける。

洋服。飯。住居。
衣食住を例とすると、1番優先順位が低いのは洋服であると思う。なぜなら持たなくても生きていけるから。
飯は食べないと生きていけないし、住居もさすがに高架下というわけにはいかないだろう。居候も忍びない。

服だけは違う。正直なんでもいい。
ユニクロでもGUでも無印でも。ロゴさえなければどこの服かもわからない。そのため、景気が悪くなると、1番被害を被るのは服だ。

このnoteの原点として、服の良さを少しでも多くの人に伝えるというのがあるので、ここからは個人的な理論を展開していきたい。

結論からいうと服はなんでもいい。
何でもいいというのは、本当になんでもいいのではなく、TPOをわきまえた、服装であること。

服の歴史で伝えやすいのは、タータンチェックとデニム。デニムは作業着だった、というのはわりかし浸透していると思うので今回は割愛。
タータンチェックについて論じたい。

始まりはスコットランド。
元々は民族衣装として、「自分のクラン(集団)がどこか判断するもの」として用いられてきた。それをハウスタータンという。
日本でいうところの「家紋」みたいなもの。

ロイアルスチュアートタータン、ブラックウォッチなど。
下記にまとまったページがあったので、添付する。

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受け売りの知識だが、タータンチェックを初めて服に落としこみ、現在の地位を築いたのは、ヴィヴィアンウェストフッド。
彼女はこのタータンチェックの文化を解釈し、エリオットタータンという柄を作り出した。民族衣装をパンクとして表現する。

知る人ぞ知るこの逸話は、語り継がれてほしい。てか調べても出てこないので、口コミで伝えていって欲しい。


話を戻す。
元来、服は民族を示すものとして使われてきた。テンダーロインの西浦徹氏が何かの雑誌
で、スーツが正装だった時代、社交場のドレスコードはスーツ。
その中で、日本人のみ、アロハシャツ。
正装で、日本人としての証明であり、粋であり、それが許されていたとのこと。
もはやうろ覚えの話なんだけど、当時読んで衝撃を受けた。
そんな型破りなことを日本人はしていたのかと。パーソナリティすらも余裕で捨てていく、今の日本じゃ到底考えられない。


今回1番伝えたいこと。
服はその人のパーソナリティを表す。ということ。
服はなんでもいい、というスタンスこそが既にパーソナリティを確定している。
もちろんそれがいい、悪いの次元ではなく、考え方は全て出てるという話。

だから考えが、深ければ深いほど、服装に反映される。
ブランドロゴで全身固めていると、SHOP店員かと思うし、それが珍しいプレミアの物だと、それだけで目を引きつける自分がいて、最近は目を逸らしたくなる。

決してその人達を揶揄するわけではない。
ただ、どうしても考えと服装は比例する。

中身は外身に比例する。


考えてみればわかるが、中身がコロコロ変わると服装もコロコロ変わる。自分がそうだったからよくわかる。
その点、中身がブレない人は服装もぶれない。
高齢者がいつも同じ服装なのは、気を使ってないからではない。中身が変わらないから。

女性に多いのは、コロコロ服を変える人。
男が変われば服も変わる。それは、付き合う男に合わせてるのではなく、中身が変化しているから。変化はとっても重要なことだし、変化なしでは成長はない。


服が好きになって五年くらい経つが、やっぱり自分も数え切れないくらい失敗してきたし、いまでもまだ定まってない部分が多い。


ただ、人が着てる服をみればどういう人か分かる。というより靴だけど。足元を見れば、全てわかる。面白いくらい。
靴紐の結び方、すり減ったカカト、謎のブランドの靴、綺麗に手入れされている靴。本当の意味でのパーソナリティは靴に出るのかも。

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