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本人のキャリア自律のために「何」を支援する?

若手の育成を、世代論に矮小化せずに、キャリアを取り巻く不可逆的な環境変化から見通そうとしており、共感の深い一冊。

若手の育成を世代論として捉えることは悪手だと思っている。その理由は、この一説に集約されている。

マーケティングの世界や芸術・文化の潮流をつくるためには全体的な若者の傾向を概括することが重要であり続けるだろうが、管理職がひとりの若者と向き合うとき、企業が一人ひとりの若者に活躍する職場をつくろうとするときも、世代論は同様に重要なのだろうか。

『なぜ「若手を育てる」のは今、こんなに難しいのか 〝ゆるい職場〟時代の人材育成の科学』

では、〈キャリアを取り巻く不可逆的な環境変化〉とは一体何なのか。本書でいくつか挙げられているなかで、最もインパクトの大きいものが《選択の回数が飛躍的に増えた》ことだと思う。

■若者たちが転職や副業に積極的な背景

筆者は、顕在化しつつあるこうした不安の背景に、職業生活における選択の回数が増えることが想定されつつあることを指摘する。

リンダ・グラットンは「ライフ・シフト』において、「教育→仕事→引退」という3ステージ人生の崩壊、そしてマルチステージ人生を提起した。この点はマルチステージを前提とした様々な政策や企業の人事制度等の議論を喚起するなど多くの共感を集めたことも記憶に新しく、日本における職業生活設計の段階を新たなものにした。

リンダ・グラットンが指摘するこの3ステージ人生において、より重要なポイントは従来の日本の社会人にとって、選択のタイミングが2回しかない”2ステップ人生”だったことである。

3つのステージは当然に2つのステップ=選択のみによってつながれる。つまりそれは、「学校卒業後の就職活動」と「定年退職後のセカンドキャリア設計」であった。就職活動で大きくて有名な会社に入れば、”勝ち組”になれた。年収も高く、社会的地位も高く、それに伴って幸せになれる確率が高かったかもしれない。定年退職後に退職金の運用を誤らず、人生設計を的確に行えば悠々自適の老後を過ごせる蓋然性は高かったかもしれない。

しかし、3ステージ人生は崩壊した。その後を生きる、現代の若者が直面せざるを得ないのは、選択の回数が飛躍的に増えた全く新しい職業人生である。

例えば、現在の20代後半の若手の離職経験率は51.5%と過半数を超えているし、副業の実施率は13.7%、副業をしたい者は35.3%で合わせてほぼ半数である。大学等での体系的な学び直しやリスキリングを希望する者も多いと言われる。
(中略)
「3ステージ人生=2ステップ職業人生」は、「マルチステージ人生=選択の回数が増えた職業人生」へと転換したのだ。

『なぜ「若手を育てる」のは今、こんなに難しいのか 〝ゆるい職場〟時代の人材育成の科学』

《選択の回数が飛躍的に増えた》というのは、見方を変えると、〈【いま】の有限性〉を意識せざるを得ない、ということなのかもしれない。

2018年と少し古いのだが、Jリーガーの言葉を紹介した別の記事からの一節。プロのアスリートである彼らが、〈【いま】の有限性〉を強く意識していることがよくわかる。

もう1つ共感したのは、フィル・ナイトには「終わり」を見る心理があるということです。
アスリートはみんな同じだと思いますが、やはり「あと何年サッカーできるのか」と終わりを意識するところがあるんです。
僕の場合、18歳の時と現在とでは、1日の重みが明らかに違います。
だから、短い期間で目標を立ててしっかりやろうと考える。
1日の有限性を考えるんです。

フィル・ナイトの働きぶりも、そこに通ずるものがあります。
アスリートをやっていたからこそかなと思いますし、「終わり」を知っている人間は強いんだとも感じます。

《選択の回数が飛躍的に増えた》結果、〈【いま】の有限性〉を意識せざるを得ないという、〈キャリアを取り巻く不可逆的な環境変化〉。その是非や好悪とは別に、いったんその環境変化を事実として受け入れたとすると、キャリア自律支援とはどのようなものになるのだろう。

これはとにかく、何事においても「本人が意識的な選択をする」ことを促す、という一点に集約されるのではないだろうか。

つまり、選択の結果としての「いまの仕事を続ける」や「辞めて新しい仕事に移る」は、支援する側からはアンコントローラブルであり、かつ、支援する側がそこをコントロールしようとすること自体がキャリア「自律」と逆行するという理由から、キャリア自律支援の論点にはそぐわない。選択の「結果」にフォーカスするのではなくて、とにかく〈本人が意識的な選択をする〉という「プロセス」にこそ注力する。

辞める辞める詐欺ではないが、自分にとって真剣な選択肢になり得てない、つまり、〈意識的な選択〉の俎上に載せられていないからこそ、現実逃避的(≒消極的)な選択としての「辞める?」「辞めない?」が、本人の中でぼんやりと立ち上がってきてしまうのではないだろうか。

この「ぼんやり性」がキャリア不安の正体だとしたら、ぼんやり性に輪郭を与え、〈意識的な選択〉として本人の前に晒す。〈【いま】の有限性〉に直面してもらう。その時、私(本人)はどう感じるのか。そうやって、本人に自己理解に向き合ってもらう。

辞めるにしても辞めないにしても、飛躍的に増えた選択を彼らが常に「意識的に」べットできるよう支援することが、〈キャリアを取り巻く不可逆的な環境変化〉の中を生き生きと進んでもらうことにつながるのではないだろうか。

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