二世信者の心の整理

はじめましての方はどうも

今年で2024年。
つい昨日27歳になったどこにでもいそうな人間です。

ふと、自分自身の整理もかねて、初noteやってみようと朝5時23分に登録してみて、勢いのままタイピングしてます。

世界に向けても身内用でもなく、ただただ本当に自分に向けたメモ的なものなので、文章レベル低いのは悪しからず。

いろんなことを考えて悩んでいるのだけれど、今回はその数ある中でも自分の中の特殊な悩みについて。

2019年に実の家族と縁を切って、天涯孤独となった。

ちょっと初見の人のために説明
(父親(DV野郎)以外は血縁者全員が宗教団体を信仰していて、自分も小学校高学年までは二世信者。中学の時離婚して東京へ来て、大学出てから家を飛び出して縁を切り、今は一人で生活って感じです)



血縁者と絶縁してから5年目。
いつも自分はふざけてるし、まぁ別にそういう表面に見える様に取り繕って来ただけなのだけれど、
あとなんか真面目キャラとして認識されるのが個人的に嫌だから、こういうのは発信しない様に今までしてきたけど
少し真面目な話をしようと思う。



やっと自分の人生始めれて5年だし
丁度今はニートになって少し思考できる余裕もある訳だしって感じで、
気持ちというか自分の存在に対して改めて色々自問自答してる日々。

今年に入ってふと自分が二世信者だった頃の宗教団体本部へ行ってみようかなって思い立った。
なんでこのタイミングでそんな思考になったのかって自分でもえらく驚いている。
今までやっぱり憎しみの対象でしかなく遠ざけてたものだし、
ただやっぱりなんと表現すればいいのか、「自分の過去にケリを着けたい、もしくは着けるべき状態」になったのかなって思う。

多分一人暮らしで人生送って来て、その中でやっぱりめちゃくちゃいろんな悩みも考えも通して、
今ではある意味5年前に無かった考えとか欲が出て来て、、、

例えば、
いつかやっぱり分かり合えて家族みんなで団欒できる夢の様な、「これぞ幸せ(普通の過程で生まれたらそれは普通のことなのだろうけど)」ってやつを手に入れることは今後不可能なのか?とか

丁度それも身近な友達が結婚したり出産したり、甥ができたんだよとか、
そういうの家庭・家族に関する幸せを近くで目の当たりにしたから自分はどうなんだろう?と考え初めてしまったんだと思う。

もうその手の当たり前の幸せには、とうの昔にさよならしたはずなんだけどね。
なんでかな、やっぱりどうにかならなかったのかなって考えてしまう。

それとちょうど昨年の2023年は統一教会の事件があって、世間的にも宗教や二世信者という言葉がトレンドだったこともあり、今まで自分の周りには宗教とかそういう手のものに理解ある人がいなかったのもあって、周りに相談することも二世信者だったことも打ち明けることができなかった。
今では二世信者がなんなのかとか被害者への理解があるから打ち明けやすくなった気がする。
これまでだとやっぱり宗教って言うだけで誤解されかねないし、自分がやばい奴という風にレッテルを張られたくないから、自己防衛として今までは特にいうこともなく仲のいい人たちだけに打ち明けてた。
まぁそんなこんなで昨年それで宗教が良くも悪くも世間に取り上げられたことで、一つ自分の中に思いが生まれた。

もしかしたらあいつら(家族)もこれで正気に戻ってくれるんじゃないだろうか?改心して普通の人間に普通の家族になってくれるんではなかろうか?
と、そんなサガミオリジナルよりも薄い望みが自分の中で芽生えてしまった。

自分でもどうかしてた。そんなばかばかしいご都合展開あるわけないと。
仮に今改心されたとして今までのことを許すことができるのだろうか?いやできない。どうやったって時間は帰ってこないし体験も取り戻すことはできない。それは運命だししょうがないことだから。

何の因果か、時を同じくして昨年の夏ごろに見覚えのない電話番号から電話がかかってきた。
電話に出ると相手は母方の祖母からだった。
今は都内の老人ホームに入っているらしく、実の母から電話番号を聞いてかけてきたのだという。

正直キツかった。
すぐにでも電話を切りたかったが話をしていく中で、もうすぐこの人も死ぬし最後ぐらい良い人になっているんじゃないかな?と淡い望みを抱いてしまっていた。
ただその望みは叶わなかった。

相変わらず嫌な奴だった。
話を聞くとどうやらあいつら(姉等)は祖母に自分の事を悪く吹き込んでいるらしく、まぁそれは今に始まったことではないけど、お姉ちゃん3人は頭もよくて立派になってお母さんを支えているのに、お前はどうしてお母さんのために生きていないんだだのなんだの、吐き気がした。
もう、すぐ死ぬようなこんな哀れな奴に今更誤解を解くことも、真実を話すのも無駄な労力と感じてしまっているからかその時は話を合わせて早々に電話を切った。

虫唾が走ったと同時に、電話を切ってからしばらくたってから、
何故だか涙がとめどなく出た。自分に引いた。
その時そういったどうしようもない感情とやるせない人生にあきれてしまって心底悲しくなった。

相変わらずあいつ(母)は未だに、そんなよぼよぼの祖母を老人ホームから連れ出して宗教に通っているのだという。

あきれた。
まじであきれた。。

あぁ神さまいるのなら少しは微笑んでよ

この期に及んであれだけ神類を信じず遠ざけてた自分も、
この時ばかりは神なんてもんにすがってしまった。泣ける。ウケる

あいつらは統一教会とかのニュースをみても何も思わないんだなと、たぶん関係のないものだと思っているんだろうな。相当頭がやられているんだろう。
なんならニュース見て「怖いねぇ~」とか他人事にやってそうまである。
とんだギャグだわ。
笑えねえよ。

もうなんか、救いようのないって言葉はまさにこれだなと思ってしまった。
あの時は母親を救うことが可能なんじゃないかって思ってしまってた。
けど、無理だった。もう救えない。何しても無理なんだろうなと思った。
悔しい。全部悔しい。自分の運命も母親の運命も何もかも悔しい。
やるせねえ。

そうして昨年は苦しい思いをした。

話を戻す。
今年に入って東京の立川にある本部に一度行ってみようかななんて考えが出てきた。
別に誤解してほしくないが興味が出てきたとかではない。
憎しみの対象でしかなかったものが、なにかこう
もうどうでもいいというラインを越えてきたのだ。

幼いころから地元でも東京でも至る場所でも連れていかれていた自分にとって、立川がそういう場所になっている。
立川のその場所へ行けばこうなんていうのか。
原点に帰れる気がして
嫌な思い出もあるけどもちろん当時は子供だ、館内の中の思い出の場所のひとつやふたつある。
そこへ里帰り的な同窓会的な。
そこへ行って何になるわけでもないけど過去の自分と家族と本当の意味でさようならをするべきなんじゃないかって考えてる。

なんなら一度家族と会って落ち着いて話をして、こちらが信仰をやめてほしい旨、助けが必要で心療内科や治療が必要なら最低限の手助けはするという主張をしてみようかなとも思う。

ただそれが怖くてできない。
本当に怖い。

だってきっと結果はよくないだろうから。
もしそこまで自分の、奥底の、家族への、気持ちを正直に打ち明けても無理だった時、家族がとんでもない意味の分からない主張をしてきた場合。
果たしてその場の自分は自分を保っていられるか自信がない。

勢い誤って殺してしまうかもしれない。冗談ではなく。
心が壊れてしまうと思う。
最後の最後の家族でありたいという
元々こと切れそうだった一本の糸がぶちッと切れてしまうと思う。

もうその時は
ごめんなさい。もう私はあなたを救うことができないです。救いたかったけれど、本当に残念です。救うことができなくて本当にごめんね。と言って、本当の意味で縁を切るしかないと思う。

ただその予想が現実になりそうで怖いのだ。

やっぱりここまで文章書いていて思ったけど、
やっぱりこの人は家族といつか分かり合えるのであればそうなりたいんだと思う。客観視してみて。
恥ずかしいですわほんと
なんだかな~
きもいなー
なんでこんなんなっちゃったんだろうなぁ。

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