中国史の数字は嘘ばかり?

中国史について話をするとき、しばしば耳にするのが「中国人の数字は嘘ばっかり」というような意見である。

例えば、紀元前3世紀の時代に40万人もの人間を虐殺できたはずがないだとか、ホイホイと100万単位の軍を招集できるはずがない、といったものだ。

現在でも、南京事件の被害者の数などでいろいろと言われることがある。

また、李白の有名な詩「白髪三千丈」も「お前、三千丈も髪が延びるわけないだろ」という無粋すぎる突っ込みの被害にあうこともある。

しかし一方で、中国は正確な数を重視する文化でもある。

例えば、古代中国で「世界の成り立ち」は二進数で考えられていたし(太極とか八卦とかね)、娯楽小説である西遊記ではことあるごとに詳細な数字が出てくる。いわば孫悟空というファンタジーキャラのステータスが数字で表されたりしているのだ。如意棒の重さとかね。この辺は昨今のいわゆる「なろう系作品」に通ずる、「詳細なステータスを出すと読者が簡単に理解できる」という流れが垣間見られる。封神演義も、物語の最後に登場人物リストが作られていて、きちんと人数も把握されている。ステータスや数字にこだわるのは古今を問わないもののようだ。

「数字に細かい中国」というと外してはならないのが、自分の書いた作品の文字数を正確に記録することだ。例えば、司馬遷は史記に「全部で130巻、52万6千5百字」と記している。これは史記を誰かが複写したときに不正確にならないよう、きちんと字数を残しているということ。当時は紙がないので木簡や竹簡に記すのだが、この木簡の木片一つ(一行)に書く文字数が決まっていたので、一巻分の文字数を簡単に計算することができた。いわば等幅フォントである。五言絶句や七言律詩も、この木簡の等幅フォント文化から生み出された形式だろうと思われる。書聖・王義之などはさしずめ史上最も有名なフォント職人と言ったところだろうか。日本で言えば原稿用紙のように形式が決まっていたらしい。

またほかに、秦の始皇帝の時代(正確にはそのちょっと前)の宰相・呂不韋が、自らが編纂した百科事典「呂氏春秋」の完成度を誇り、「この書物に一字でも加えることができたら千金をやろう!」と豪語した逸話もある(一字千金)。文字数を正確に数える文化と言うのは間違いなくあったようだ。

では、「数字にテキトーな中国」と「数に厳密な中国」、どちらがホンモノなのだろうか。

まぁ、その答えはある意味当然ながら「どっちもある」で終わりだ。

そもそも数字をテキトーに扱っているのは中国だけじゃない。俺たちが「ちょっと一杯飲もうぜー」と言った時、本当に一杯で済むだろうか。そんなわけはない。逆に「ちょっと生ビール中ジョッキを3杯飲みにいかないか」などと言うこともない。当たり前だ(仕事関係の飲みの場合はこんな感じで誘ってほしいけど…)。一方で、お金はちゃんと一円単位まで計算するし、重要な数字はきちんと残しておくだろう。

つまりはただそれだけの話だ。まことおもしろくない結論だけれども。

おもしろくない結論では当然ながら面白くないので、中国史における「数」をいくつかに分類してみよう。だいたい以下の5種になるんじゃないかと思う。

・厳密な記録としての数

・漠然とした規模としての数

・観念としての数

・詩的表現としての数

・政治的な思惑の込められた数

このそれぞれについて説明してみよう。

まず、「厳密な記録としての数」。これは先述のような、複写の手違いを防ぐための文字数の記録だとか、ファンタジーキャラを身近に感じられるようにするためのステータスとしての数字がそれにあたる。おそらくはお金の計算も厳密だったろう。なんといっても紀元前5世紀には二進数計算をやっていて、字数を数えやすくするために等幅フォントで文字を書いていた文化なのだから、正確な数字はお手の物だったはずだ。


次に、「漠然とした規模としての数」だ。これは軍勢の数がそれにあたる。

例えばあなたが、かの曹操に斥候を命じられたとしよう。目の前には敵の軍勢がいる。ものすごい多い。視界を埋め尽くすほどの大軍勢だ。あなたはどんな報告をするだろうか?

「めっちゃすごい数の敵がいました!」と報告したとしたら、もしかするあなたの命はない。あの曹操にそんなテキトーな報告ができるわけがないのだ。

「千万を超える大軍勢が雲霞のごとく…」とかレトリックにこだわって報告したとしたら、もしかするとあなたの命はない。あの曹操にそんな不確かな報告ができるわけがないのだ。

「三日を費やして正確な数を数えてきました。敵は6万5561人です」と見事な報告をしたとしても、もしかするとあなたの命はない。「兵は拙速を尊ぶ、とは、無駄な手続きを切り捨てて本質を素早く見抜くことだ」と言っている曹操にそんな報告をしたら首が飛ぶだろう。

となれば必然的に、当たらずとも遠からずな数を見積もって報告する、と言うことになるだろう。それが「敵軍5千騎」といった表現になるわけだ。

これは実は桁が合っている必要もない。実際は500騎だったとしても別にいいのだ。なぜなら、「自軍が1万騎いる」とあなたと曹操の認識が一致しているとしたら、「その半分くらい」と報告できればいいということになるからだ。

ちなみに曹操は孫氏の兵法書に自身で注釈を書いた際に、「一軍とは、これこれの戦闘員と、馬を世話する者と、輸送の者などを含めての数字である」というようにかなり具体的な数字を出してくれているので、興味のある人は読んでみるといいと思う。「私が呂布と戦った時は~」とか「袁紹は~」とか、ところどころに「私の戦歴」が書いてある。おそらくこれは曹操麾下の将軍たちには必読の参考書だったろう。曹操軍が強いのも納得だ。


ちょっと脱線したけど、次は「観念としての数」。数字の単位に使われている漢字は、当然ながらそれぞれに意味があるものだ。

みんなが普段使う「千載一遇のチャンス」の「載」は、数の単位なのである。「1000載」は、「10の47乗」というすさまじい数を表している。つまり「10の47乗分の1」の確率のことを「千載一遇」という。もうこれ0だよね…。

つまり、「そのくらいの」という観念を示す使われ方だ。

2000年前でも、どうやら「万」の単位までは割と実感のもてる数字だったらしい。100個のものが100セットあれば1万になるわけだから、それほど不思議ではない。

しかし、「億」「兆」となるとまるで実感がわかなくなってくる。それを示すように、「億」は「思いを巡らす」という意味があり「兆」は「きざし」と読むように、「かすかに見えるもの」という意味がある。なので、万を超える数字はおよそ現実的ではないが想像はできるもの、という認識だったろう。それ以上の数は宇宙規模の、人知を超えたところにある数字というあつかいだったのではなかろうか。


次は「詩的表現としての数」。

これは李白の「白髪三千丈」とか、荘子の「体が何百キロメートルもある魚の話」とか、人間の想像力を刺激するためのレトリックとしての数だ。

「あなたのことは一時も忘れたことはありませんでした」と同じような感じで、「ごはん食べてるときは忘れてましたけど、それ以外の時はあなたを思っていました」とかだと興ざめだろう。いや、ある意味でそっちの方がグッと来る可能性もあるけれども。


まー、最後の「政治的な思惑を含む数」については…みんなの思うとおりだけれども!打ち破った敵を過大に表現すれば相対的にこっちが強く見えるし、そもそも中国の歴史書は次の時代の国家に書かれるものだから、歴史書の数字は盛られたり減らされたりと言うのは当然あったろうと思われる。

ただ勘違いしてほしくないのは、昔から中国には歴史を研究してる人がいて、「史記のあの記述はおかしいんじゃないか」とか「三国志の記述をクロスチェックすると…」みたいなことをしてる人はたくさんいる。史書が絶対なんていうものではないことは当然理解されていた、ということは覚えておいてほしい。なんかちょっと、変な批判をする人がいるからね!


思い立って書き始めたら内容が薄いうえにこんなに長くなってしまった!

本当は、儒教における数とか、五行思想とかも絡めて書きたかったんだけれども…!

それをすると大変なことになるので、とりあえず、「中国の数は信用ならねぇ!」と一概に言えるものではないよ、と。

俺たちもミルフィーユが本当に千層になっているか確認したりはしないしな!

どうでもいいけど「ミルフィーユ」って言ったら「千人の娘」になるので、「ミルフイユ(千枚の葉」って発音するとそれっぽくなるぞ!

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