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江戸時代の円周率3.16の謎にせまる! 第三章

タイトル通り江戸時代は円周率に3.16が使用されていました。3.16に合わせ3日連続で記事を書いていきます。今回は3日目です。

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第一章 ・・・3.16の出処
第二章・・・和算家たちの円理の研究と和算ブーム
第三章・・・3.14から3.16への逆行

3.14から3.16への逆行

第二章で書いた通り、1680年代に入り円周率3.14で統一されたと思われたのですが、江戸時代後期になると古い円周率3.16に逆行するようになります。
遺題継承運動は、1641年に始まって1699年頃には終わってしまいました。

科学史家の板倉聖宣氏たちが1681~1690年に発行された算術書の中で円周率を調べることが出来た16種類の算術書のうち、1685年発行の本が一種類だけ円周率を3.162としている以外は3.14.…としていることが確認されたのです。つまり1687年ころには、ほとんどは正しい円周率3.14という考えで統一されていたのです。
本文全体を改めるのは煩わしかったためか、版を重ねる時に「正しい円周率3.14」に差し替えるかわりに、「注」などの形で正しい数字を加えました。例えば「新編塵劫記」の場合、本文で「円周率を3.16と説明したページ上の余白」に「こまかに吟味すれば、円周率の値は3.1416です」という趣旨の説明を加えて、「本文中で円周率を3.16としているのは間違っている」と認めたのでした。

和算家たちが「円周率 3.14」とまとまりかけた頃になって、円周率について意義をとなえた方々がいたのです。

第一章で紹介した野沢定長です。村松茂清に続き独自に円周率3.14を見出したにもかかわらず、10の平方根が3.162となることを知ると「円周率の値は形=経験によって求めれば3.14であるが、理=思弁によって求めれば3.16である」として「両方とも捨てるべきでない」と言い出したのです。

次は儒学者の荻生徂徠(おぎゅう そらい)で徳川吉宗の相談役としても活躍しました。とても博学な漢学者で和算家たちの円周率の研究のことも知っており、和算家たちが円周の内側にいくつも正多角形を描いて、その辺の長さや面積を計算しているのに疑問をいだいたのでした。徂徠は内接多角形の角数を増やすほど求まる円周率の桁は増えていくので、素人目にはその値が増大する一方に見える。「それがいくら増えても3.1416を超えない」と考えて和算家たちの計算の結果を疑ったのです。徂徠は吉宗に仕えていた当時の数学研究の大家の中根元圭(なかね げんけい)と親しく、一緒に研究したこともありました。

もう一人は京都の有名な漢方医学者の橘南谿(たちばな なんけい)で、「いまに至り3.16あるいは3.14色々に論ずれども、なおきわめがたきところあり」と述べ、3.14はまだ確定していないとしている。

当時の和算家たちは、その疑問に答えられませんでした。

数学にも理解があると思われていた知識人たちが、その円周率の値を信用していないようだと知られたこともあって、円周率の値が3.14 と3.16とに分裂することになったのです。
板倉聖宣氏たちが江戸時代後半の文政年間(1818~30年)に出版された算術書の円周率を調べると、著者名も明瞭な(200ページ以上もある数学書)場合、全部が円周率の値が 3.1416 または 3.14159 に統一されていたが、著者名も印刷されていないような30〜100ページほどの小冊子のそろばんの本の円周率の値が 3.16となっていました。

何が足りなかったのか

当時の和算家の議論には「すべての人びとを完全に納得させる論理」を大切にする考えが不足していたのです。

ヨーロッパの数学者たちは円周率の議論でも、円周の長さを計算するときに円周の内側に正多角形を描いてその長さを計算で求めるほかに、その円周の
外側にも正多角形を描いていって、その辺の長さも計算してみせる方法をとっていました。
当時の和算家たちは円周の外側を「計算しようともしなかった」のです。
例えば正1536角形であっても、内側の正多角形の周 3.1415904、外側の正多角形の周 3.1415970 となるので、「円周率は 3.1415904 より大きく、3.1415970 より小さい」と完璧に証明することができたはずなのです。この場合、円周率は両方の数字が一致する 3.14159 と言っていいのです。

たった一人だけ外側の正多角形を求めた人がいたことが分かっています。
江戸中期の和算家の鎌田俊清で、江戸の「関流」の和算とは独立に大阪で発展した流派「詫間流」の3代目の俊才でした。
参照:05. 鎌田俊清の「宅間流円理」- イムジイ” のページ
内周:3.14159265358979323846264336658
外周:3.14159265358979323846264341667
円周率の小数点以下24桁まで正しいと確信しうる円周率の値を算出することに成功していたのです。しかし、その本は手で書き写されて読まれただけで印刷されることがなく広く普及しませんでした。そのため当時の識者に知られることもなく、その研究を受け継ぐ人は一人も現れませんでした。

最後に

日本は明治維新を迎え、欧米の科学/文化を全面的に受け入れて新しい近代社会を築くことになったのですが、そのときに「数学だけは欧米の数学から学ぶことがあまりなかった」と言われることがあります。
しかし、円周率のことを見ても日本の数学は江戸時代の最後まで「すべての人びとを完全に納得させる論理」を大切にする考えが不足していたのです。

日本の円周率は明治維新以後、古代ギリシアの科学の伝統をついだ西洋の数学を全面的に受け入れるようになってはじめて「誰にでも納得のいくもの」になったのです。





 


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