一夫多妻:そこに覚悟はあるんか?
少し前に耳学問でかじった話。
イスラム圏の一夫多妻は救済制度
大砂嵐関の騒動について同郷のフィフィ女史のコメントで知ったのが、イスラム圏の一夫多妻制度の背景だ。
イスラム圏である中央アジアを舞台にした森薫による漫画「乙嫁語り」でも同じ話が出てくる。
未亡人や不妊女性の救済が目的であったというけれども、これはいわゆる社会を安定させる目的としていたのが肝心だ。
人間を評価する評価関数の違いを見せつける故・ミッテラン大統領(フランス)
女を幸せにできるかどうかが男の社会的評価に響く社会であるフランスならではの有名エピソードが、故・ミッテラン大統領の葬儀で愛人の席順が決まっていたという話である。
ミッテラン大統領はさらに何十人もの愛人がいて、亡くなったあと、彼が葬儀における愛人たちの席順を決めていたことが報じられ、さらに人気が急上昇した
フランス社会では男の価値は女を幸せにすることで決まる、と聞くけれども、そういう形で評価されるがゆえに、故・ミッテラン大統領は自分の葬儀での愛人の席順まで決めていたわけである。
勿論、故・ミッテラン大統領自身がそこまでしたのは、単に見栄っ張りだったからというわけではなかろう。
男社会での自分の評価を上げるために不倫をする日本男子
日本人の評価関数については、以前にこう指摘した。自分の評価を上げるために不倫をするのである。(詳細は↓記事参照)
精神科医の香山リカが著書『いまどきの「常識」』(2005年、岩波新書)で指摘した不倫の構造を引用したが、"それ以上いけない"内容の指摘をしている。引用しよう。
『愛されてお金持ちになる−−』をはじめとして、いま書店には「お金のある男をゲットする方法」をテーマとした雑誌、書籍が山積みになっている。それを見ても、男性たちがまだ、「彼女が僕に求めているのは、決してお金じゃなくて人間的な魅力なんだよ」という幻想を抱き続けることができるのだとしたら、彼らの想像力はファンタジー作家以上と言わねばならない。
この話を女性側から見たのが先日↓の記事で指摘した"マンコ二毛作"である。
更に香山は、男性を不倫に向かわせる責任の一部は、生活のパートナーである女性にもあって、「あなたはそれでいいのよ」という承認を与えないからだという。例えば「あなたに話しても全然わかってくれない」「みんな一戸建てに住んでいるのにウチだけアパート住まい」などと、パートナーの男性を否定するようなことを口にする、と。
承認を得るために不倫をするが、その裏でパートナーや子供と言った家族の存在を否定している、と香山は手厳しい。
人間関係のタコ足化という解決策
一夫多妻にしろ重婚にしろ、女性からの「お金と有能な精子さえ提供してくれれば、夫は家に帰ってくる必要さえない」という無邪気な主張は、むしろ経済的に成り立つのか怪しい。
結局はシステムに依存して生きるしかなくなり、それが別の問題を引き起こすだろう。
そうでなくても人間関係のタコ足化が起きていて、それが別の問題を引き起こしている、と宮台真司は指摘する。
【 http://www.miyadai.com/index.php?itemid=844 より】
それとは別に「彼女がいても心は非モテ」という現象が、2000年期に入る頃から目立つようになります。男の子たちの悩みの相談が、「セックスする相手がいない」というのから「関係が続かない」というものに大きくシフトしました。
長続きがしない理由の最たるものは「ソクバッキー」つまり束縛現象です。携帯電話の着信記録やメールのログを盗み見た経験のある人の割合は、交際相手のいる二十歳代で7割近くいます。実際に『SPA!』という雑誌で調査してもらいました。
盗み見れば、たいてい自分の知らない異性との交流の履歴が残っている。それがセックスを意味するかどうかは別として、疑心暗鬼が生じて自分も二股三股の保険をかけることになりがちです。こうして「たこ足化の悪循環」が回ります。
悪循環の中で、些細なトラブルがあるたびにホッピングします。そうすると、交際した相手の数が増えても、関係の履歴が積み重ならない。また、いつでもホッピングできることを背景に、ちょっとしたことでキレて関係が終わりがちです。
疑心暗鬼化の中で、「30分ごとにメールを送れ」とか「1時間ごとに写メールを送れ」みたいな、女性を束縛したがる男つまりソクバッキーも増えます。それらを背景に、「セックスはできるけど、関係性が得られない」という悩みが広がるのです。
その延長線上に托卵女子やらパパ活があるのではなかろうか。パパ活については以前にこうツイートした。
ツイートで引用したプレシデントオンラインの記事の締めくくりを引用しよう。
とはいえ、パパ活で出会った男女に、恋愛とも疑似父娘とも言えない不思議な結びつきを感じたケースもありました。男性側が、女性の容姿や、肉体関係だけではなく、2人の間に生まれた絆や信頼のような関係性に対し、お金を支払っている印象を受けたのです。
また、パパに対して金銭だけではない関係性を求めているように見える女性たちもいました。
もしも、彼女たちの実父が学費も生活費も支払えるくらいの経済力を持ち、精神的にも娘を満たせてあげられる存在ならどうだったのか……。きっと彼女たちは、パパ活をしなかったはずです。なかには母子家庭で育ったり、親子関係が破綻したりしてしまった女性もいました。彼女たちとの会話のふとした瞬間に、父性への飢えや憧れが伝わってきたのです。パパ活にハマる女性たちは、本当の父親を、父性を求めているのかもしれないな、と。
しかし格差が広がる時代です。
パパになる富裕層もいる反面、生活に困窮し、娘への仕送りもままならない実の父親たちもいる。
パパ活とは、そんな時代のあだ花のような現象ではないか、という気がしてならないのです。
自分の本音はこうだ。
娘一人を大学まで卒業させるには"父親"が1人では足りないということなのだ。そう、"親子関係"のタコ足化だ。
女からすれば「お金」をもらう相手、「有能な精子」をもらう相手、「親密になる」相手、情緒的に満たしてくれる相手、等々が分離していく。これは"夫"のタコ足化である。
これは男の不倫も同じだ。生活的なケアを受ける妻、承認を与えてくれる彼女…そうやって男も人間関係をタコ足化させていく。
宮台真司は上で引用した論説で人間関係のタコ足化について、こう指摘する。
似たことが性愛領域を越えて拡がっていると感じます。性愛に限定すると、モテるということの意味が以前とは随分違ってしまった。昔はつきあうチャンス自体がレアだったから、異性と食事をするだけでうれしかったわけです。
過剰流動的になった今日では、女性が男性に「かわいい」とか「好き」とか言われても、「かわいい女性なんてゴマンといる。かわいければだれでもいいのか」というふうに思ってしまうわけです。。
一般的に過剰流動的社会では、関係性の正当性を弁証し難くなります。「私でなければいけない理由」がどんどん希薄化します。それゆえに、社交的な人ほど、逆説的な状況に引き裂かれて、退却傾向に陥りやすくなると考えられます。
過剰流動的な社会は、関係性をつまみ食いするようになるので、人格の「まともさ」を要求しなくなります。むしろ、場面に応じて最も合理的な振る舞いをすればそれでOK。自分や相手が何者なのかは問われません。
そして自分自身から疎外されていく。近代的主体から逆に遠ざかっていくポストモダン社会の影である。
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