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ヤジ排除国賠 第一回口頭弁論期日(大杉)

 2020年1月31日札幌地裁で行われた、ヤジ排除国賠訴訟の第一回口頭弁論で、原告である大杉が述べた内容を、ここにも転載しておきます。 


以下、転載
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 みなさんこんにちは。今回の訴訟の原告である大杉というものです。
 今回、私が提訴をするに至った経緯と、今回の裁判において、裁判所や北海道、そして北海道警察に対して求めることを述べたいと思います。

1, 経緯(なぜ安倍はやめるべきなのか)


 私は、2019年の7月15日、友人と一緒に札幌駅前に向かいました。目的は、参議院議員選挙に伴う応援演説のために来ている安倍晋三(内閣総理大臣)の演説場面に行くこと。そして安倍首相に対して「お前を支持していない人間がここにいるのだ」という意志表示を、なんらかの形ですることでした。

 私は、普段、ソーシャルワーカーと呼ばれる福祉の仕事に就いており、日々、様々な相談対応や支援に携わっています。支援対象者は様々で、障害がある方、ひきこもり状態にある方、生活保護を受給している方、DV被害にあっている方、失業中の方など、様々です。私は、そうした方々の相談を受けながら、彼ら・彼女らの生活が少しでも改善し、安定することができるようにと、試行錯誤しながら関わっています。しかし、その試みは容易ではありません。というのも、相談に来る方のまわりには、様々な社会的な障壁が立ち並び、なかなか前に進むことができない状況があるからです。

 それは、たとえば劣悪な労働環境であったり、いっこうに上がる気配のない給料、重い税金や社会保険料負担、貧弱で使い勝手の悪い社会保障制度、高額な医療費や教育費、家賃負担、介護や保育の負担、家庭内暴力の連鎖、性差別含む様々な偏見といったものです。つまり、私が普段の業務で関わっている対象者は、その人自身の行動に課題があるということよりも、その人を取り巻く社会の情勢によって、排除され、より困難が深まっている状況がある。これは自己責任論を振りかざしたり、家族の支え合いなどを強調してごましかしたところで、決して解決が見込めないものです。

 そして、それは私が支援対象とする人々だけがそうだという話ではなく、私自身の状況を顧みても大きな変わりはありません。私の仕事の立場は行政の委託としてあり、間接的には国の事業を請け負っています。しかし、その待遇は、決して安定したものでも、恵まれたものでもない。日々の生活をなんとかやり過ごすことはできても、それが改善し、安定していくという展望は全く持てない。自分が10年後にどのような生活を送っているのか、全く希望を持つことができないような生活を送っている。毎月、給与明細を見るたびに、むしり取られている税金の大きさに言いようのない憤りを覚えています。

 そのような状況にあって、政治というものに望むものが大きくなるのは当然のことではないでしょうか。しかし、安倍首相が政権の座に返り咲いてから7年、彼が私たち一般庶民の生活にとってプラスになることをしているようには全く見えない。それどころか、なんの見通しも解決策もないままに、政治を私物化し、税金を無駄遣いし、憲法と国会を軽視し、ただ遊び呆けているようにしか見えない。そして、その裏では、貧富の格差が拡大し続け、困窮した一般庶民が、誰の目も届かない場所で、日々、死の淵に追いやられている。

 私はこのような現状認識のもと、安倍首相に言いたいことが山ほどあったのです。こんな政治はもうたくさんだ、なにがアベノミクスだ、なにがオリンピックだ、なにが新元号だ、なにが「令和おじさん」だ、なにが赤坂自民亭だ、ふざけるのもいいかげんにしろ、地獄に落ちろ、と。もしもそれが言い過ぎであるとすれば、せめて、1秒でも早く、首相の座から退け、さっさと政治家をやめろ。そのように思う必然性が、この社会の中で生きる一人の人間として、あると感じています。

2, 当日の出来事


 だから、安倍首相が札幌駅前に来ると聞いた時、私はほとんど迷わず、そこに駆けつけることにしました。ヤジを飛ばすことが誰かの支持を得るとか得ないとか、そういうことは二の次でした。というのも、これは尊厳の問題だからです。「安倍を支持しない人間がここにいる」という事実を、身を持って示さなければ、今の政治に反対する声は、存在しないことにされてしまう。そのように考え、街宣車の上に乗って演説している安倍首相に対して、道路を挟んだ反対側から、批判のヤジを飛ばすことにしたのです。

 しかし、私が「安倍やめろ」「帰れ」といった声を上げたところ、ほんの10秒もしないうちに、周囲の警察官によって体を掴まれ、身動きを取れない状態にされた上で、後方に排除されました。私は、一体どのような根拠があって排除したのかと、現場の警察官に、何度も何度も、しつこいぐらいに質問しました。しかし、彼らはこちらの質問をはぐらかすようなことを言い続け、最後まで説明はありませんでした。私と友人たちは納得行かない気持ちを抱えたまま、しかも警察官に尾行されながら、帰路につきました。

 後からわかった話では、このような排除やつきまといの被害にあったのは、私や、私と一緒に行動していた友人二人に限りませんでした。別の場所で安倍首相にヤジを飛ばした人物や、政策批判のプラカードを掲げようとした人物、少なくとも9人に対して、警察は同様の排除、ないしは介入をしていたことが明らかになっています。一方で、政権を支持するヤジやプラカードは一切排除されていないことなどを勘案すると、「政権に批判的な声のみを抑え込む」ということが、道警の組織的方針として徹底されていたことが、指摘できるだろうと思います。

3, 事件のあと、道警の対応


 この事件の直後、私が排除される瞬間を捉えた動画が、インターネット上にアップロードされます。その動画は、ほんの2~3日の間に200万回ほど再生され、話題を呼びます。また、朝日新聞を皮切りに、マスメディアで報道がされるようになると、こうした警察官の排除行為に対して批判が高まります。「政府に批判的なヤジを飛ばしただけで警察に取り押さえられる」という出来事が、「独裁国家」や「戦前」などのイメージを喚起したのでしょう。

 しかし、明らかに強引に行われた排除行為が映像や写真におさめられているのを前にしても、道警の態度は頑なでした。実際、事件当日から現在に至るまでの丸6ヶ月以上、道警は排除の法的根拠について説明していません。
道警のトップである山岸本部長は、この件についてこれまで道議会に4回出席していますが、すべての回で、「事実関係については調査中」「告発状が出ているためお答えできません」と語り、事実上のゼロ回答に終始しています。国会でも、複数の野党議員がこの排除事件について質問していますが、警察庁の担当者による回答も全く同様です。

 私たちは、事件があった翌月の8/10に道警本部に向けて抗議のデモ行進を行いました。その際に、北海道公安委員会宛の苦情と、また道警本部長宛の請願書を提出しました。どちらも、道警の対応についての法的根拠の説明と、そして謝罪を求めるものです。公安委員会は、警察の職務行為が適切であるかどうかを監督するための機関であり、苦情申し出については警察法(第79条)に定められた返答義務があります。しかし、苦情提出から5ヶ月以上経った現在まで、回答はありません。

 また道警の頑なさは、メディアの取材に対しても同様です。朝日新聞(道内版)の12/4付の記事によると、去年の7月から12/3までの間に、朝日新聞から道警に対して、この排除事件についての法的根拠を問うた回数は、合わせて91回とのことですが、それへの回答は、「事実関係は確認中」といったものに終始しており、詳細は明らかにならなかったと言います。

 つまり、本件に関する道警・警察庁の対応をまとめるとこういうことになります。主権者の民意に基づいて選ばれた議員の質問にまともに答えず、市民の自発的な抗議行動や請願行動に対しても応じず、市民の「知る権利」のために取材をするメディアの質問にも回答せず、ただ、貝のように押し黙っている。そして、警察組織を監督するはずの公安委員会も、そうした警察の態度をただすことなく黙認している。

4, 訴訟に向けて


 この問題に取り組む私と仲間たちは、このような道警の対応を目にしながら呆れ果てると同時に、強い危機感をおぼえました。これではいつまで経っても出来事の詳細は明らかにならないまま、世間の関心は薄れ、事件の真相はうやむやになってしまうかもしれない。

 それだけではありません。今回、道警が排除の法的根拠を説明しない間に、ネット上の一部で、私や他の友人に対する誹謗中傷が起こっています。
いわく、「演説中にヤジを飛ばす行為は演説妨害であり、公職選挙法違反なのだ。だからこいつらを排除したのは、警察による適正な行為なのだ」といったものが典型的です。しかし、最高裁判例などに照らしても、あの場での私の行為が、公職選挙法の定める演説妨害に該当しないことは明らかです。とはいえ、警察が白昼堂々と排除を行い、そしてそれについて謝罪はおろか説明すらしない状況では、こうした誤った言説に流される人がいても不思議ではない。

 あるいは、今回の事件を見聞きした人の中には、「政権の批判をするだけで警察に取り押さえられるなんて怖いからやめておこう」と考える人もいるでしょう。そう考えると、今回の事件は、直接の被害を受けた私たち当事者に対してだけでなく、より広い範囲で言論の自由を萎縮させる効果すら持つ、極めて深刻な出来事であると言えます。

 このような事態が派生して起こっているとき、排除の当事者である道警には、重大な説明責任がある。そして、警察が自主的に説明しないのであれば、彼らが説明せざるを得ないように、こちらから働きかけるしかない。このような事情で、私は今回の国賠訴訟を起こすことを決めました。

5, 訴訟で望むこと


 今回の裁判にあたって望むことは、この事件がどのような理由で起こったのかについての真相を明らかにすること。すなわち、排除が起こった背景としての警備体制、警察庁による指示の有無、当日の警察による指揮命令系統、そして法的根拠についての見解などを、法廷の場で明らかにすること。そのために、深い沈黙を守り続けている道警の関係者を呼び出し、証言させること。

 そして、それらを踏まえた上で、道警の警察官の行った行為に正当性があるのかどうかを、法律的な観点から判断すること。もちろん、原告である私としては、本件における排除行為は、法的根拠を満たさない、違法な逮捕・暴行行為であると確信しています。また、今回のように、特定の思想・表現のみを狙い撃ちにした警察権力の濫用は、国家による思想弾圧と呼ぶにふさわしい、深刻な人権侵害行為であると考えます。

 裁判所におかれましては、今回の「ヤジ排除」行為が、違法かつ違憲な人権侵害であることを認定した上で、それにふさわしい補償を行うことを求めます。それこそが、三権分立と民主主義を掲げる国家としての、適切な判断であると、心から信じております。以上です。

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